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美術館春の定期上映会“ブラジル映画祭”ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス特集
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五十年代から九十年代までに到る各年代の作品を集めたブラジルの知られざる巨匠の特集プログラムは、後半の四作品を一日目に上映するという形だった。初日を観終えた段階では、もちろん悪くはないが、敢えて「こんな国の映画も観てみたい!」という点では、むしろ今、僕が最も気掛かりなのは、地方でほとんど上映されずに終わっている最近の日本映画なので、この程度ならと少々うらめしくも思ったものだった。 ブラジル映画というのも、そう頻繁に観られるものではないものの、今までに観る機会を得ずにきた国の映画ではない。僕自身が最初に観たブラジル映画は、十七年前に観た『未亡人ドナ・フロールの理想的再婚生活』(ブルーノ・バレット監督) だと思うが、グラウベル・ローシャ監督の『アントニオ・ダス・モルテス』('69) やブルーノ・バレット監督の『クアトロ・ディアス』('97) は、自分たちで上映した作品だし、最近の『セントラル・ステーション』(ヴァルテル・サレス監督) や『オルフェ』(カルロス・ヂエギス監督) など、記憶に新しい作品もある。そういう意味では、ブラジル映画だというだけでは、新鮮な気分にはなれなかった。 1930年代に共産主義的な思想を問われ、地方の教育局長から一転して獄中生活を余儀なくされた実在の小説家グラシリアーノ・ラモスを描いた『監獄の記憶』は、意欲的で堂々とした作品ではあったし、ちょっとシュールで風変わりな『第三の岸辺』は、確かに興味深く目を引く作品だったけれど、前者はいささか長過ぎだし、原作自体の差とも言えるのかもしれないが、ある種通じるところのある題材の映画作品としては、『クアトロ・ディアス』のほうが優れているように思った。また、後者であれば、例えば去年観た『ミラクル・ペティント』(ハビエル・フェセル監督) や『ルナ・パパ』(バフティアル・フドイナザーロフ監督) のほうが、もっと鮮烈だったような気がする。 しかし、二日目の初期の作品を観て、これはやはり知らずに過ごすには惜しい監督だと思った。1955年の『リオ40度』は、オープニングとエンディングが当時のブラジルの首都リオ・デ・ジャネイロという都市の遠景で印象づけられる映画だが、先に汎世界的な時代の潮流にもなったイタリアのネオレアリスモをブラジル映画に取り込んだと評価される部分以上に、のちのロバート・アルトマンの作品を思い起こさせるようなところを持っていて、その先駆ぶりに驚いたのだった。それは、とある空間と時間を共有するさまざまな人物たちを登場させて、あまり脈絡もない種々の物語をその共時性でもって語ることで、ドラマや人物以上に、場所や空間、状況といったものを際立たせて感じさせる作品で、群像劇とも異なった味わいを持つ映画だったということだ。まさしく主人公は、リオだったのだ。映画と言えば、いわゆるストーリーものの劇映画で、主人公としての人物がいるのが一般的であったなかで、ブラジルにおいて、このような作品が誕生していたということは、僕にはネオレアリスモからの観点以上に刺激的だった。 彼にとっては、五作目だという『乾いた人生』もまた、圧倒的な力を持った映画だった。二十年後に『監獄の記憶』でその人そのものも描いたグラシアーノ・ラモスの原作による作品だというのも興味深い。ロー・アングルから広がる荒野のなかを歩く主人公一家の姿を捉えたラストシーンの絶望感の深さには思わず身震いをした。 それだけの作品なのに、二作とも日本では、映画祭で上映されたことがあるだけで、一般公開されずに今に至っているとのことだ。何とも残念な話だと思う。 それにしても、50年代や60年代にこれだけの作品を撮った監督が、その後どうしてしまったのかと思うほどの70年代の低迷ぶりであったが、現在ブラジリア大学の教授をも務めるという監督の講演によりその理由の一端が偲ばれた。ブラジル映画史を語ったこの講演は、実に分かりやすく整理されており、通訳のうまさも手伝って、とても充実したものであった。さまざまな映画人の名が登場し、もちろんローシャもサレスも名が挙がったが、日本でも知られているブルーノ・バレットの名が出ずに終わったことには、少々意図的なものを感じたりもした。 結局、50年代から90年代までの各年代をほぼ一作づつ観る形で辿ってみて、改めて思うのは、つくづく映画というのは、時代や社会とともにあるのだなということであった。映画という作品は、監督・スタッフが作っている以上に、時代と社会が生み出し、作り上げているものだということを再認識させられたような気がする。そして、40年間にわたる系譜を概観することで、初日の一日では持ち得なかった興味深い観点も得ることができた。 それはつまり、シネマ・ノーヴォから後の70年代以降の作品は、すべて何らかの形で奇跡の物語であるということを、それ以前の作品の持つドキュメンタリー・タッチと対象化する視線の鮮やかさといったものが際立たせてくれたということだ。貧しい人々がリアリスティックに立ち現れてくる前二作と比べると、『オグンのお守り』は、ウンパンダ教の守護神の祝福を受けて不死の肉体を得たガブリエルの話だし、未見作の『奇蹟の家』は、題名そのものに「奇蹟」という言葉が盛り込まれている。『人生の道』は、しがないミュージシャンが身の程を越えた夢のような芸名を名乗って不思議な成功をおさめる顛末が綴られ、最後には、というような話だし、『監獄の記憶』も監獄生活の非人間的で苛酷な状況がリアリスティックに描かれるというよりは、奇跡的な生還のほうが印象に残る仕上がりだし、『第三の岸辺』にいたっては、超能力少女が聖女と崇められ、次々と超常現象を引き起こす話が『オグンのお守り』よりも洗練された神秘的な語り口で綴られている。初日の三作品を観終えた時点で、どれもどこか浮世離れした作品ばかりだという印象を持っていたことが50年代60年代の二作を観たことで微妙に色合いを変えてきた。 『監獄の記憶』でえらく印象的に使われた「私は無神論者だ」という主人公ラモスの言葉と『乾いた人生』が彼の原作であることからは、作家ラモスへのネルソン・ペレイラ監督の共感が窺われるとともに、監督自身も無神論者ではないかと思わせるところがある。ネオレアリスモに共感し、無神論者に共感したネルソン・ペレイラが、こうした奇跡の物語に関心を寄せたのはなぜなのか、大いに気になったので、講演日の夜の懇親会のときに訊ねてみた。 僕のいささか不躾な質問にも監督は非常に気さくに丁寧に答えてくれた。それによると、確かに自分は無神論者なのだが、それは、自分も含めた同時代のインテリゲンチャーに共通して共産主義へのシンパシーがあったのと同様に特別なことではなく、一方では、ブラジルはカトリックの国だというイメージと建前がありながら、実際には、ミサに行くよりはダンスホールに行くことに熱心な人々のほうが圧倒的で、そんなに宗教に敬虔な人たちはいないのと同様に、自分のなかでそんなに重要な部分を占めているわけでもないとのことだった。それこそが自然体だよなぁと実に率直で構えたところのない答えが嬉しくなったのだが、そんななかで、亡妻が文化人類学の研究をしていて民間土俗信仰を調査していたので、それに大きく影響されたのかもしれないと聞き、これまた大いに納得したのだった。そして、最後に加えた「映画は、若い人たちが撮るべきものです」という言葉に、既に何事かを成し遂げた先達の言葉の重みと彼の謙虚で飾らない人柄を感じた。県立美術館には、いい機会を与えてもらったと思う。 参照サイト:「高知県立美術館公式サイト」より http://www.kochi-bunkazaidan.or.jp/~museum/previous/brazil/brazil2.htm#works 推薦テクスト:「こぐれ日記〈KOGURE Journal〉」より http://www.arts-calendar.co.jp/KOGURE/NAMIOKA-FILM-FESTIVAL-1.html | ||||||||||||||||||
by ヤマ '01. 4. 7.~ 4. 8. 県立美術館ホール | ||||||||||||||||||
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