『ザ・カップ、夢のアンテナ』(PHORPA)


   オーストラリアとの共同製作とはいえ、ブータンの映画好きの高僧が監督を務めた作品と聞けば、まずは物見高い気分に誘われて、観逃すわけにはいかなくなるとしたものだ。冒頭から修業僧の指導役とおぼしき僧(ウゲン・トップゲン)が僧院長を訪ねていくのに、コカ・コーラの空缶を下げたままゆったり歩いていたり、怪しげな占いを気軽に頼ったり、観るものすべてが珍しく、まことに新鮮だ。そもそも国境越えの難儀の果てに辿り着いたはずの亡命先の僧院だというのに、この長閑かさは何なのだろう。戒律の厳しい僧院で修業するチベット仏教の僧侶たちの生活と聞いて直ちに連想する世界とは、およそかけ離れた、楽しくも微笑ましい寄宿舎物語が繰り広げられて驚かされた。しかも、これが九割がた事実に基づいた話だというから嬉しくなってくる。
 ワールド・カップ・サッカーが観たくて、修業もうわの空で夜中に抜け出し、民家でTV観戦して帰っては眠い目をこすっている小坊主ウゲン(ジャムヤン・ロゥドゥ)がキラキラと輝いている。また、勤行のときは居眠りばかりしている癖に、僧院長から「地球を皮で覆うことは出来ないとしたら」といった問答を課せられると、すかさず「人が足を皮で覆うとよろしい」と応ずる小癪で不思議な青年坊がいたり、ウゲンと同じく、サッカーの好きな悪友ロドゥ(ネテン・チョックリン)がいて、ヌードでこそないけれど、女性のグラビア写真を修業仲間に見せて騒いだりしている。西欧の寄宿舎物語としてならば、珍しくも何ともないこういったエピソードがインド領チベットの僧院を舞台にすると、とんでもなく新鮮で溌剌として見えてくるから不思議なものだ。もちろん技術的にしっかりした映画を撮っていることが、そこには大きく貢献もしている。
 夜中の無断外出がばれ、よりによって決勝を見逃す羽目になったウゲンは、とんでもない形での正面突破を試み、高僧の許可を得る。それはインド人の業者からレンタルでテレビとアンテナを借りてきて、僧院で観戦するというものだ。その実現に向けてのウゲンのなりふり構わない猪突猛進型の強引さはいささか度が過ぎていて、『あの子を探して』のミンジを思い起こさせるのだが、決定的に違っていたのは、ウゲンには後から自身を振り返る視線があったということだ。また、アンテナ移設の様子が生き生きとテンポよくスリリングに描かれ、予定調和に向かうような緩みが感じられなかったところがたいしたものだった。
 「商売が下手だから、いい僧になれるぞ」という先生の言葉も、この顛末を総括してウゲンに掛けるものとしては上等のものだ。効果覿面というか、今回の一連の体験で成長したウゲンは、自覚を得たのだろう、自室の壁一面に貼ってあったサッカー選手の写真や切り抜きをすっかりはがしてあった。  それにしても、今の日本の生活水準からすれば、ほんとにささやかなことでしかないものが、これほどの憧れとエネルギーの源になる姿を目の当たりにすると、つくづくと幸いは、充足にあるのではなく、希望にあるのだと思う。今ほど虚ろな充足と根絶やしになった希望という状況に生きてきたことはかつてなかったのではないかと思うくらい、日本は皮肉で不幸な状況にあるように身に染みて感じた。特に子供においては尚更のことで、少なくとも今の日本の教育現場に、ウゲンのようなキャラクターと行状を持った子供に、一念発起して壁の写真のすべてを剥がすだけの情動を呼び起こす教育体験を与えてやれるところは、ほとんどないような気がする。
  

推薦テクスト:夫馬信一ネット映画館「DAY FOR NIGHT」より
http://dfn2011tyo.soragoto.net/dayfornight/Review/2001/2001_02_19.html
by ヤマ

'01. 3.14. BUNKAMURA ル・シネマ2



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