『ラスベガスをやっつけろ』(Fear And Loathing In Las Vegas)


 いやはや何とも凄まじい映画であった。無軌道で醜悪で、美しさがどこにもないくせに、ギリアム作品らしい力のある映像展開とジョニー・デップの稀代の怪演で、観る者を放さない。しかし、どうにも気分の悪い映画でもあった。あんなに生々しい嘔吐を見せつけられたり、アンチ精神のかけらも窺われない、ただひたすら下劣で傍若無人な行状をまるまる二時間も、しかもなかなか目が離せない形で延々と見せつけられると次第にイライラしてくる。およそ先の見えない、観る側の気分を逆撫でて挑発するような映像展開に、ちらりとゴダールを思い起こしたりもしたのだが、ゴダールのような知的スノッブとも受け取られるような過剰な言葉と引用があるわけではないぶん救われるものの、映像やイメージの醜怪さや愚劣さには、もっとストレートな暴力性が漂っていてうんざりさせられる。
 ドラッグ・ジャンキーへの嫌悪感がピークに来たところで映画は終幕を迎えたのだが、ラスベガスの町を出る砂漠のハイウェイの傍らに立っていた看板の文字が字幕に訳され、恐怖と嫌悪にめげずによくここまで付き合ってきたという旨のメッセージが現れた。この映画の原題もその一節で、直訳すれば“ラスベガスの恐怖と嫌悪”というわけだ。やはり確信犯だったのかと納得した途端、この映画が、何かにつけ近年やたらとノスタルジックに語られることの多い70年代に対する強烈なアンチテーゼとして、敢えて1971年に発表された原作を映画化したのだなというふうに思った。
 既成社会の手垢にまみれることから逃れ、“ラブ&ピース”を掲げて自由の旅へと向かうことが「わたしたちの望むもの」だと主張していたヒッピー文化がいかにドラッグや麻薬の垣根を低くして大衆化を招いたのかということを改めて思い出した。そして、今に至るドラッグ・ジャンキー蔓延の出発点でもあり、結局のところ、ヒッピー文化は何も生み出さず、ひたすら壊しただけの糞のような文化だったというわけだ。そういえば『イージー・ライダー』('70)でキャプテン・アメリカ(ピーター・フォンダ)たちとともに旅したのは酔いどれ弁護士(ジャック・ニコルソン)だった。今回の映画の語り手であるジャーナリストのラウル・デューク(ジョニー・デップ)とともに旅するのも、やはり弁護士ドクター・ゴンゾー(ベニチオ・デル・トロ)だ。かなり意図的なものだったのではないかと思われる。
 そして、醜悪さにまみれながらも二人の間で呪文のごとく繰り返された「ヒップ」「グルーヴィ」「クール」の三語は、今に至るも生き延びているというか、一般化して普通に使われるようになっている俗語だという気がするが、元々はヒッピー文化の修辞語のなかで最高位のものとされた言葉だったのかとこの映画を観て思った。このはすっぱな安手の言葉とドラッグ中毒だけが、糞のようなヒッピー文化が今に残しているものだと言わんばかりだ。
 こんなシニカルな眼差しは、脳天気なアメリカ的な文化とは対照的で、いかにもギリアム監督にふさわしい。まさしく彼が毒気の強いブラックなユーモアを愛好するイギリス的な文化に育ったことを偲ばせるものだった。

推薦テクスト:「マダム・DEEPのシネマサロン 」より
http://madamdeep.fc2web.com/fearandloathinginlasvegas.htm

推薦テクスト:「eiga-fan Y's HOMEPAGE」より
http://www.k2.dion.ne.jp/~yamasita/cinemaindex
/2000lacinemaindex.html#anchor000440
by ヤマ

'00. 5.29. 県民文化ホール・グリーン



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