『縄文式/AYAKOの退院』
監督 ダーティ工藤


 「残縄画報」という写真集を岡山の紀伊国屋の美術コーナーで見つけて購入し、フェティッシュな味わいとして縛りそのものではなく、縛った後の女の肌に残る縄目の跡に着目した慧眼に感服していた。きっちりした緊縛を数多く実践し、さまざまな質の肌に残る縄目の跡をほどいた後に目撃してきたベテラン縄師ならではの着眼点だ。モノクロの写真集は、女体の肌理や縄目の跡をしっかりと捉えていて、通常の緊縛写真以上にフェティッシュな味わいに富んでいた。これはフェチの何たるかを知っている人だと思っていたところに、その「残縄画報」のメイキング・ドキュメント・ビデオがあり、おまけにロマン・スロコンブとのコラボレーション作品だという『AYAKOの退院』とが同時上映されるという。『縄文式』というタイトルもいいセンスだ。これは行かぬ手はないとBOX東中野に向かった。
 レイトの一日一回上映なのだが、連日ゲストが招かれていて僕の行った日は、監督と女性風俗ライター、AV女優の鼎談だった。最終日は、先日高知でのパゾリーニ映画祭で会食したばかりの明治学院大学文学部芸術学科教授の四方田犬彦氏だったのだが、僕の東京滞在と合わない。この日は、入れ替え開場までの間に十数名くらいの列ができたのだが、若いカップルや女性の一人客もけっこういて、さすがは東京だと感心した。
 鼎談の中身のなさに嫌な予感が走ったが、上映されたビデオ作品は、さらにお粗末な代物であった。二本とも撮影がクラウス・マンスキーとなっていたのだが、これがもう最低の撮影で、いまどきホームビデオでももっとましだと思えるような下手くそな撮影でいささか呆れ果てた。『縄文式』におけるドキュメントとしてのダーティ工藤氏のモノローグもフェチ・テイストとは程遠い身の上話が大半で、退屈きわまりない。ビデオ撮影は、写真撮影の邪魔をしているとしか思えない按配で、途中から明らかに写真家の不興を買って引かされたという感じに遠目で傍観しはじめる。これはもう、作品以前の代物だ。ビデオの安っぽくて白っぽいカラーが貧相でたまらない。おまけにしばしばピントがぼける。照度の弱い室内撮影のため、オート・フォーカスの反応が遅れてしまうのだろう。『AYAKOの退院』も着想だけで撮った代物だが、妖しさや危なさが全くなく、ロマン・スロコンブがよくも原案として名前を出すことを承知したもんだと驚くような代物で、メディカル・アートの影がチラリとも見えない。何だか騙されたような気分になった。少なくともフェチの何たるかを知っているのではない。ちょっと変わった珍しいことでのウケだけを狙っていたのに過ぎなかった。最終日、四方田氏はこれらの作品以前の代物を前にして、何をどのように語ったのか興味津々である。
 宿に帰って、口直しに浜松町の貿易センタービルにできた大きな本屋で前々日に買った河出文庫「緊縛の美、緊縛の悦楽」(濡木痴夢男著)を読んだ。比較にならない真摯さとひそやかな自負が謙虚に綴られていて、好感を持った。それにしても、こういうものが文庫になって出版されるようになったのだから、善し悪しは別にしてたいした世の中になったものだ。若いカップルや女性の一人客が並んでいたりすることとも符合する。一概に悪いことだと言えないとは思うのだが、少なくとも変に認知され、日陰の世界から這い出てくることで、確実に失われてしまったテイストというものがあるような気がする。
by ヤマ

'99. 6. 1. BOX東中野



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