『河』(河)
監督 蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)


 『青春神話』『愛情萬歳』に続く現代都市三部作最後の作品である。前作愛情萬歳』を上映したときの映画日誌に、東京と見紛うばかりの台北の都市化ぶりに触れて、現代において発展するということが都市という名において無国籍化し、うつろで厳しい孤独を背負い込むような生き方を選ばずにはいられなくなることだとしたら、あまり良いことではないのかもしれない。と綴った後にアジア映画の秀作と言えば、大なり小なり家族と自然という主題が見え隠れするのが通例であり、またそれゆえに、西洋近代主義が行き詰まり、世紀末的閉塞感をもたらしている今の時代において、アジアの映画が近年注目を集めているのだとも言えるのだが、そういう意味でのアジア的な家族や自然がこの作品には全く現れてこない。これほど家族や自然と決別しているアジアの映画には、あまりお目に掛かったことがないという気がする。と記してあるが、前作では都市生活者の孤独と厳しさが描かれていても、本作のような凄惨さや寄る辺なさが描かれるには至ってなかった。ペシミスティックではあったが、本作のように絶望的に壊れてはいなかった。

 『河』では、台北はまさにシャオカンの抱えた奇病に象徴されるがごとく、病んでいると言い切っているのだろう。前作では、シャオカンだけでなく他の登場人物の誰においても、家族的要素がいっさい排されていたのでいわゆるアジア映画的ではないと感じたのだが、今回家族を描いてみると却ってもっと凄惨な話になってしまっている。近代化が人間を家族を壊してしまったという主張は更に強くなっているようだ。

 それにしても、何とも凄惨な家族だ。一つ屋根の下に暮らしながら、ゲイ・サウナに通うことで孤独と欲望を癒す父とレストランに勤めながら日本製アダルトビデオの海賊版コピーの宅配業をやってる愛人を持つ母。彼女は、自宅での孤閨を愛人から貰ったであろうAVを観ながら紛らし、隣室の夫に音が聞こえてしまうのも構わずにバイブで自慰行為に耽ったりしているらしい。シャオカンが痛む首のマッサージにと母親からバイブを貸し与えられ、首に当てている音を壁越しに聞いた父親の顔が曇るところなどから察しがつくのだが、性具をマッサージ器だと息子に与える母親にしても、そのモーター音に勘違いする父親にしても、とても笑えないようなやり切れなさと心の枯渇が窺われて哀しい。

 そういうなかで、シャオカンの存在だけが辛うじて家族の関係を繋ぎ留めていたようだが、首の奇病のお陰で逆に家族間に交流の回復の兆を見せたにもかかわらず、結局はよりやり切れない絶望的な状況に立ち至る。援助交際や風俗嬢のバイトをしている娘が父親を客として迎える状況に出くわす設定は、これまでにも何処かでお目に掛かったような気がするが、父親と息子がゲイ・サウナの一室の暗がりで互いを認知できぬままに行為に及ぶというシチュエイションは初めて観たし、何とも強烈だった。いっそ判らぬままに別れていればまだしも、その夜も旅先での同宿のホテルに戻りツインのベッドに並んで泊まるしかない親子。息子に背を向ける形で横になっている父親の目から零れ伝う涙には、どうしてこういうことになってしまったんだろうという悔恨とやり切れなさ、そして、これからどうしていけば良いのか判らない途方に暮れる思いが満ちており、同時にそれが台北という街の悲嘆そのものにも重なっているように見えた。
by ヤマ

'99. 3.18. 県民文化ホール・グリーン



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>