『シン・レッド・ライン』(The Thin Red Line)
監督 テレンス・マリック


 戦争映画もこれまで少なからず観てきているとは思うのだが、こんなに静かで美しい戦争映画は他に記憶がない。非常に内省的で、ディーテイルの充実とマクロ的な知性の確かさが見事なバランスで大した手応えを残してくれる作品だ。
 人間の実存というものに内省的に向かう魂が、極限状況のもたらす荒みに侵されずに内なる声との対話を続けている姿が描き出されている。戦争は、極限状況を端的に示す装置に過ぎず、余りにも美しすぎるなどという的外れな非難まで被りそうな映像の美しさは、そのまま極限状況のもたらす荒みにも侵されずにいる魂の美しさを示している。
 戦争映画に付き物の安易なヒーローや仇役、強者と弱者、敵と味方、善人と悪人などといった単純な対比構造は何処にも観られない。兵士、下士官、司令官のみならず、敵国日本兵の描き方にも人間としての眼差しが保たれており、レッテルを貼り付けたような人物造形がいささかも観られない。
 どの人物も精一杯生きながら、苦しみ、迷い、わずかの安息や記憶をぎりぎりの支えとして生き延びようとしつつ、死んでいく。戦場に限った話ではなく、人の生というものは、すべからくそうしたものであるけれど、極限状況におかれた人間の切実さには、それだけ訴える力が強く備わる。そうしたときに、荒みを拒み内省的に向かう魂というものが、事在るごとに心のなかに去来させる心象風景としては、残してきた恋しい妻や圧倒的な自然の美あるいは現地の住民たちとの、いずれをとっても豊かで甘美な触れ合い体験にほかならないというのは、実に説得力のあるものだ。
 戦争批判を展開したり、軍隊的な価値観や人間観を糾弾したりすることなく、人の営みとしての戦争の空しさをひしひしと伝えてくる。それと同時に、兵士として戦争に携わった者たち自体は決して空しい存在ではなかったことを浮かび上がらせている。そのうえで、生きることは空しいことかもしれないけれど、懸命に生きている人間の姿は空しいものではないことを、すべての人の生に敷衍する形で訴えかけてきているような気がした。それは、地球レベルで人類が人間存在への信頼感を保てなくなりつつある、世紀末の状況とも無縁のことではないという気がする。哲学者でもあったというテレンス・マリックが、20年間の沈黙を破ってメガホンを取ったことの納得が、そういう意味でも確かに得られるような、瞑想的な味わいの豊かな作品であった。
by ヤマ

'99. 5.22. 松竹ピカデリー2



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