『悲情城市』(悲情城市)
監督 侯 孝賢


 台湾現代史の汚点と言われ、それに触れることがタブーになっていたとも言われる<二・二八事件>を初めて扱い、台湾映画史上最大の観客動員を果たした作品を侯孝賢監督が撮ったと聞いて、少し違和感があった。侯孝賢と言えば、抑制の効いた語り口と静謐で外連味のない映像の作家であり、いわゆる政治的な問題作品とは結び付かない気がしたのである。彼は、<二・二八事件>をどのように描いたのであろう。そんな疑問と期待のなかで映画が始まった。

 一九四五年八月一五日、日本の無条件降伏を告げる玉音放送の流れた日に一人の男の子が誕生したことを序章とする始まり、それに続くタイトルとともに流れた壮大で劇的でエキゾティックな音楽の見事さ、思いがけずも、そこにはいかにも大作の風格があった。これは先に観た『恋恋風塵』とは一味違うのではと期待が募ってくる。ところが、一向に問題の<二・二八事件>は始まらない。二時間三九分の長い作品を観終えても、結局事件そのものについては、あらかじめ知っていた外省人と本省人との対立が招いた弾圧事件で、その後の国民党政権の移入を招いたものであるということ以上に具体的なことは解らなかった。

 しかし、観終えた後、驚くべきことに台湾の歴史そのものの持つ深い悲しみが穏やかではあるが、深く刻み込まれていることに気づかされる。例えば、対立のさなか、本省人が外省人を見分けるのに日本語を使うシーンがある。一瞬口篭った後に言葉を発する。物語的には、聾唖者の文清が外省人に間違われそうになったシーンである。事件としては、本省人による外省人探しと集団暴行が起こったことを語っている。しかし、映画ではそれらのことよりも、日本の敗戦でようやく解放され、日本人がみな撤退していなくなっているのに、その異民族支配の象徴とも言える外国語を使わざるを得ないのが台湾人であることが印象づけられるシーンなのである。

 歴史のなかの一事件の悲劇性を強調して激しく感情を揺さぶるのではなく、歴史そのものの持つ悲しみを抒情を湛えた静かで深いものとして描いていく。これは侯孝賢監督の映像の創り方と全く同じで、いかにもディテイルに凝った意外性の強い映像で観客を圧倒するのではなく、さりげない一つ一つの映像が一見断片的でありながら見事に全体を語るというやり方である。歴史のなかの一事件を語るのではなく、一事件によって歴史全体を描くのである。そのために、例えば、逃亡先を求めて寛美とともに駅にたたずむ文清が小さな島国にもう逃げる先はどこにもないと汽車に乗らなかったシーンを観ても、観客は単に追手から逃れられないことを受け取るのではなく、意識するしないは別にして、台湾の歴史の持つ悲しみの逃れようもない深さを感じるのである。だから、この場面の映像は、多くの人にとって忘れ難いものの一つとなっているはずである。

 思えば、しかし、これは大変なことである。永らくタブーとされていた事件を初めて扱うという状況のなかで、その事件そのものを多くは語らずに、そのことによってむしろ国の歴史全体を感じさせるという描き方のできる作家はそういるものではない。単に題材への向かい方だけではない。技術的に言っても、一つ一つのシーンが物語的な面で持つ意味以上に作品全体の持つテーマを示し得る豊かさを持っていて初めてなし得ることなのである。『悲情城市』は、そういう意味で、決して華々しい問題作ではないが、凡百の問題作を遥かに凌ぐ優れた作品であった。
by ヤマ

'91. 1.19. 県民文化ホール・グリーン



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