Distance

3.迷いと声と

「おはよう、ロック!」
「ああ……おはよう、ティナ」

 翌朝、目をごしごししながらロックはティナと宿屋のロビーで顔を合わせた。明らかな寝不足である。

「どうしたのロック? えらい眠そうね?」
「あ、ああ。昨夜ちょっと寝付けなくてな……」
「そうね……幻獣たちのこと、上手くいくといいんだけど……」

 当然寝付けなかった理由はティナが言っていることとは全く異なるものだった。寝不足は誤魔化せなくても、昨夜モンスターから受けた傷はハイポーションとケアルで何とか誤魔化せたのは不幸中の幸いだったかもしれない。昨夜あったことを他の誰かに話したくなかったからだ。

 そんな心とは裏腹にアルブルグ港は朝焼けが眩しく、潮風が心地よかった。相反する感覚を受けながらも船へ辿り着くと、船の甲板でレオが二人を迎え入れた。

「おはよう、ロック、ティナ。待っていたぞ。君たちで船に乗り込む者は全員揃った。早速だが……」

----あいつの姿がない……。もう船内、か……。

 レオの言葉をよそに、ロックは昨夜のことが原因で脳裏に離れない人物のことが気になって仕方がなかった。見かけなくてがっかりした反面、ほっとしたところもあった。顔を合わせたところで何話せばいいか分からなかったからだ。

「……ック、おい、ロック!!」

 レオの怒鳴り声に近い大きな声で、ロックはようやく我に返った。

「あ、はい……」
「頼むよ……今回の作戦は君たちが大きな鍵を握っているんだから、君がそんなんでは困るんだぞ」
「はい、すみません……」
「そういえば、先程セリスも来たので少し話をしたが、あまり長く話をしたがらず用件だけを手短に済ませたい感じだったな。それに、どこか上の空だったような……。君たち何か心当たりがあるか?」

 その問い掛けにロックの心が気持ち悪い感覚で跳ね上がった。その原因は紛れも無く昨夜のことだろうからだ。ただ、それでもロックの答えは一つだった。

「いえ、何も……」
「そうか。それならいいんだが」

 レオも何かあるな、と勘付いているのだろうが、それ以上は何も聞かなかった。

「さて、そろそろ出発しないとな。船内に個室を用意してあるから到着まではゆっくりしてくれ。明日の朝くらいには着くだろう。ではこれより船は大三角島へ向けて出港する! エンジン始動!!」

 レオの掛け声と共に船内にエンジンの轟音が響き渡る。それと共に船を固定していた碇が引き上げられ、船はゆっくりと動き出した。まずは南の大陸沿いを南東に進み、その後北東へと進路を変えることになる。

 船に乗り込んでからも、ロックの心は上の空、のままだった。魔導研究所であったこと、アルブルグであったこと。その出来事だけが何度も頭の中で再生しては消えるの繰り返しだった。

「俺、どうすれば……」

 辛うじて体を伸ばせる程の狭いベッドに転がり、返ってくる訳ない答えを一人つぶやいては、船の個室の低い天井をただぼんやりと眺めているだけだった。

 その日は出された食事にも全然手を付けず、不規則に揺れ動く船に身を任せながら、一人個室でぼんやりと過ごしていた。今朝のレオとの応対を心配してたのか、二回ほどティナがドア越しに声を掛けてきたが、俺は大丈夫だから、と端から見ればわざとらしいくらいの明るい声で返していた。
 それがかえって不自然なのだがティナもロックの今の気持ちを悟ったのか、それ以上深く入り込んでこようとはせず、そう、とだけ言って立ち去っていった。

 そして、その無理の祟りは夜に突然やってくる。食欲がなくとも体内が空腹状態だったのも災いして、ロックの身に猛烈な吐き気が襲ってきた。深呼吸を繰り返し落ち着かせようとするも、吐き気は収まるどころか胃の中でどんどん逆流を始めようとしている。いよいよ限界かと思ったロックは、慌ててベッドから飛び上がり、個室のドアを蹴破って甲板に飛び出し、船から身を乗り出した。

「げろげろーー」

 情けない声を上げながら、海に向かって逆流物を吐き出した。一度は落ち着いたのか、そのままペタンと甲板に座り込んだ。

「うう……世界一のトレジャーハンターたるこの俺ともあろう者が……」

 と言いかけてまた襲いかかってくる吐き気。再度船から身を乗り出し、海に向かって逆流物を吐き出していた。

「くそっ……ホント情けねえな……」

 自分が惨めに思っているのは船酔いのせいだけではなかった。




 そして翌朝、船は予定通り大三角島へと着いた。船を島の南端の沿岸につけると、船の碇を降ろして船体を固定し、すかさず船から物資を降ろす作業へと掛かった。作戦の始まりである。

「島では二手に分かれよう。私はセリス将軍と組むから、ロック、ティナ、シャドウの三人で組んで行動してくれ。何か分かったらすぐにお互い報告するように」
「分かりました。さあ、みんな行くぞ!」

 ロック、ティナ、シャドウが頷くと早速出発しようと一歩踏み出そうとしたその時だった。

「あ、ロック……あの、わたし……」

 今まで何も話さなかったセリスがようやく口を開いた。その口調は、一つの決意を示すような言葉に聞こえた。

 踏み出したロックの足がピタリと止まる。身体はセリスの方に振り向かないまま。聞きたかったセリスからの言葉だった。なのに、まるで金縛りにあったかのように体が動かない。
 自分でも何故かよく分からない。だけど思考の中が大きく掻き回されてどう行動すればいいか分からなかった。

 周りが何か言ってるかもしれない。だけど、そんなのは一切耳に入らずどう応えたらいいか迷ったまま、刹那であるはずな時間が自分だけ妙に長く感じて。

 その結末は、たった一言でまとめられた。

「行くぞ」

 そしてロックは再び歩き出した。その体を表に向けることは一切無く。アルブルグでセリスがしたことと同じように。

「え、ちょ……ちょっとロック!?」

 ロックの意外な反応にティナは声をあげるが、ロックは歩みを止めなかった。そしてすぐに、船の甲板の床板がきしむような音が聞こえてきた。
 それがやけにロックには大きく聞こえてきた。何を意味するかは確認するまでもない。しかし、もう歩き始めた以上、今更振り返ることは出来なかった。

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