フォトンのエネルギーと質量
 
E=mc について
 特殊相対性理論によると光子(photon/フォトン)やニュートリノの質量mは0であるとされています。0でなかったら無限大になるからです。したがってE=0となります。ところが光子にはエネルギーがあるし、ニュートリノには質量があった事が判明しています。これだけでE=mc は間違っていることが分かります。
 
 エネルギーと質量は等価だという、この式は「動く物体は質量が増加する」という特殊相対性理論から近似的に誘導することが可能です。
 相対性理論の教科書には次のように書かれています。
「われわれの特殊相対性理論によれば、等速直線運動するすべての物体の質量mは増加する。静止している時の質量をm とすれば、ローレンツ変換をべき級数に展開して、
を得る。両辺にc を掛ければ、
となる。右辺の第3項以降の無限に続くべき項はすべて無視して捨てる。第2項は運動エネルギーである。よって第1項は静止エネルギーである。偉大なアインシュタインの式 E=mc は正しいのである」
 
 本当に正しいのでしょうか。こういう数式展開を “作り話”、“フィクション”とは言わないのでしょうか。
 上述したように光子にはエネルギーがあります。それなのに光子の質量は0だとされているのです。おかしくないですか?
 
反論者:光子は静止してない。だからE=mc に光子を適用してはいけないのだ。E=mc のmは静止質量なのだ!
窪田:え?・・・上式の論理展開は傑作ですね。相対論物理学者は平気でこんな事を言うから不思議です。
「右辺の第2項は運動エネルギーである。よって第1項は静止エネルギーである」。
 こんな事おかしくありませんか。運動エネルギーと静止エネルギーを足したら、なぜ<運動する物体の質量>(左辺)になるの?そして一瞬にして左辺のmは静止質量ですって。
 相対論学者曰く、「右辺の第1項だけ、つまり mだけが静止エネルギーなのだ」。
ますますおかしくなってきましたね。そうしますと左辺の m って何ですか?
 
 要するに、子供が親にウソを言ったのがバレて、親がただすと、ますますウソで固めて、にっちもさっしもいかなくなったわけ。
 
 そもそも静止エネルギーとは何でしょう。そんなものが物理学として認められますか?静止している物質のエネルギーを測定した科学者はいますか?
反論者:地球を基準(静止系)とすれば、手元にある物質が静止しているのだ。それが静止質量だ。それを高速で運動させると、その質量は増加するのだ!
窪田:その高速で運動中の増加した質量を測定した人はいますか?
反論者:コンプトン効果やシンクロトロン加速器で実証されている。
窪田:いいえ、コンプトン効果の実験とその理論展開を注意深く勉強すると、誤差が1/2存在します。
E=mc ではなく、E=mc/2です。
光子には量子質量があり、その運動エネルギーはE=mc/2=hν だと私は指摘しています。
 シンクロトロン加速器も同様です。加速すればその加速エネルギーE[eV]によって素粒子の運動エネルギーは増加しますが、質量そのものが増加することはあり得ません。
 
 物理学がおかしくなり始めたのは1920年代後半からです。その時点まで戻ることを希望します。長い歴史の目でみれば90年や100年は短いものです。
 特殊相対性理論は2つの等速直線運動する系があって、そのどちらかを“静止”と定義して他方を“運動系”とするものです。そして“静止しているこちら”から、“運動しているあちらを見たら”、あるいは“運動しているあちらを観測したら”、あちらの時間が遅れたり、あちらの長さが短くなったり、あちらの質量が増加したり、こちらの静止質量がエネルギーと等価だという、そういう話には疑問を持って原点に戻りましょう。
 
反論者:原子爆弾のエネルギーはE=mc で説明されているのだ。アインシュタイン博士が間違っているはずはない。
窪田:いいえ、間違っている数学を使ったゲームです。
私は、原子爆弾の質量欠損は、次のように考えています。電磁波は、その波長が短くなると粒子性を帯びてきますが、この運動エネルギーは当然、
したがって、
 これは電磁波のエネルギーを質量に換算したら、こうなるという意味であり、従来の慣性質量とは異なり、“電磁波質量”または“光子質量”、あるいは“量子質量”と名付けたいものだと考えています。
 もちろん現在は、この“光子質量”、あるいは“量子質量”という概念は学界で認められているものではありません。あくまでもアインシュタインによって“光子”や”ニュートリノ”の質量はゼロであるとされています。ゼロでなかったら、特殊相対性理論によって無限大の質量になってしまうからです。
 現在ではニュートリノには質量があることが発見されています。この時点で相対論はおかしい、と考えればいいのですが、学会の体質でしょうか、なかなかそうは行きません。
 
“相対性”理論というのは、あちらから見れば、こちらから見れば、こちらを基準にすれば、あちらを基準にすればと、話を常にはぐらかして奇妙な論理を数式に持ち込みます。
 相対性理論は別名“座標変換理論”とも言われますが、光速度不変の原理を使った時空座標の変換という底なし沼的擬似数学に足を踏み入れると自分のやっていることが分からなくなります。
 典型的な例が、このE=mc でしょう。ある学者先生は「あらゆるエネルギーは質量に換算できる。したがって初めにエネルギーがあれば、質量、つまり物質が出来る。これが宇宙の起源だ」と言われます。
(窪田:初めにどういうエネルギーがあったのでしょうか)
 またある学者先生は「E=mc のmは“静止質量”なのだ。したがってEは“静止エネルギー”なのだ。光は静止してない。だから光は静止質量は0であり、静止エネルギーも0なのだ。例えば光と並進運動している光速の観測者は光が静止しているように見えるので、その光は静止エネルギーは0なのだ。アインシュタイン博士が間違っているはずはない」と説明されました。
(窪田:光は見えません。静止エネルギーとは何でしょう。そんなものが物理学ですか?)
 別の先生は「偉大なアインシュタイン博士はエネルギーと質量は等価であることを発見した。すべてのエネルギーは質量に換算できるのだ。位置エネルギーも質量に換算できる。運動エネルギーも重力エネルギーも質量に換算出来る。質量さえあればそれはエネルギーなのだ。エネルギーがあればそれは質量なのだ。量子論によれば光子も物質である。したがって光子には質量はあるし、エネルギーも持っている」等々。
もはや泥酔状態の言です。
 
 上述したようにE=mc が物理学をおかしくし始めたのは1920年代後半からです。相補性原理を推進し量子力学の建設に没頭していたニールス・ボーアは、この頃、流行が流行を呼び、ひたひたと押し寄せてくる特殊相対性理論をどのように苦々しく思っていたことでしょう。「アインシュタインとの論争」は、つとに有名です。
 
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 相対性理論の生い立ちについて若干補足しておきます。
 
 他項で何度も説明しましたように、特殊相対性理論は2つの相反する“アインシュタイン原理”から構築されています。一つは「光は物体を投げた時のような運動をするはずである」というもの。これをアインシュタインの特殊相対性原理といいます。トップページで示したように、運動系のAからC方向に光を発射すると、その光は物体を投げた時と同様に横っ飛びに飛んで行き、Dに到達すると仮定したものです。つまり静止系では光はAからDに飛んでいき、運動系ではA’からDに飛んでいったとされるものです。
 もう一つは「光は物体を投げた時のような運動をしない。光速度は常に一定である」というものです。これをアインシュタインの光速度不変の原理といいます。トップページで分かるように、静止系のA→Dも光速度はc であり、運動系のA’→Dも光速度はc であると仮定されているものです。
 “原理”とされていますが、これは理論を作るための仮定、仮設、要請であり、アインシュタイン自身も「原理である」とは述べていません。1905年の論文では「これを原理としよう」と書いてあります。この2つの仮定は互いに矛盾した要請ですが、1908年にミンコフスキーがct 軸を導入した4次元空間で数式化しました。しかし1916年までの10年間は、学会では殆どこの理論に注目する科学者はいませんでした。
 1916年にアインシュタインは一般相対性理論を発表して、「時間と空間は歪んでいる」とし、「太陽の近傍では光は重力によって曲がるはずだ」と予言し、のちにその曲がりはピタリ的中したと全世界に報道されるに及んで(これはサー・アーサー・エディントン卿の捏造論文でした。科学史を勉強してください)、アインシュタインは特許局に勤めていた事務員から一気に、世界のトップ科学者の仲間入りを果たしました。学校の先生になりたい一心で、一生懸命にこの理論を作ったと言われています。この一般相対性理論に関しては別項で詳しく述べましたのでご参照下さい。
 これを契機に1905年に発表した特殊相対性理論までも正しいとされ、アインシュタインは“学校の先生”どころではなく、一躍大天才とされたのです。
 しかし、じつは特殊相対性理論の基本的な考えは1905年にフランスの数学者、物理学者であるポアンカレ(Jules Henri Poincare 1854―1912)がその著書“天体力学講義”の中で述べていたものであり、アインシュタインの発想ではなかったのです。アインシュタインは妙なクセがあり、論文には一切参考文献を書くことなく、すべて自分の研究成果であるようにしてしまう人だったそうです。「光電効果」や「ブラウン運動」に関する論文も同様です。
 アインシュタインがポアンカレの発想を盗作した事は、『アインシュタイン、特殊相対論を横取りする』(ジャン・ラディック著、深川洋一訳、丸善)に詳しく書かれているので、興味ある方はご一読ください。
 じつは一般相対性理論もポアンカレの『天体力学の新しい方法』のなかで、非ユークリッド幾何学によるモデルの微分方程式によって定義される曲線族が書かれていますが、それをそっくりリーマン幾何学とテンソルを使い、ニュートン力学の重力定数Gを入れ込んで方程式にしただけです。盗作、偽作以外の何ものでもないでしょう。
 もしアインシュタインがきちっと論文に出典、参考文献を書いて、これらをヒントに理論を作ったとあれば、「アインシュタインは偉い!」となりますが、1905年の特殊相対論の時から、そういう事は一切しないで、さも自分の研究であるが如く振る舞い続けたところに、その“人となり”が伺われるのであります。いくら「特許局の事務員ではイヤだ、“学校の先生”になりたい!」と、その一心でやったとはいえ、それは反社会的な行為と言わざるを得ません。
 現在ならばマスコミから袋叩きにされます。ただし“袋叩き”にされない理由があります。それはアイン(一つのという意味)、シュタイン(石ころという意味)から分かるように・・・あとは省略します。
 
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 もともとローレンツ変換はオランダの物理学者ローレンツ(Hendrik Antoon Lorentz/1853―1928)が等速直線運動する物体は、宇宙空間に充満しているエーテルによって押されるため収縮するというエーテル仮説として誕生したものであり、これによってマイケルソン・モーリーの実験はその装置の東西方向が縮んだのだとされて、アインシュタインがそれを真似た事に端を発します。
 
 ローレンツはアインシュタインよりも遙かに優れた科学者です。ローレンツの電子論は現在の量子論からみれば古いとも言われますが、それでも私ども電子工学を学ぶ者としましてはバイブルとして、脈々とその骨子は生き続いています。この電子論によってゼーマン効果(1896)を説明したり、電子は負の電荷を持ち、質量は原子よりも遙かに小さい事を導き、電子の発見に寄与したことは大きな業績として科学史上燦然として輝いています。
(座右に表紙がボロボロになるまで読み込んだ H.A.Lorentzの著書 「The Theory of electrons」/1909年/Dover Pub.があります)
 
 この偉大な物理学者ローレンツが、何の気無しにフッと思いついたエーテル仮説によってマイケルソン・モーリーの実験を説明できてしまったのが、そもそもの間違いの始まりだったと言えるのであります。それを真似たアインシュタイン、更にアインシュタインを神として崇めた人々、流行が流行を、そして凶が凶を呼ぶ結果となったのではないでしょうか。
 
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 ニュートン力学、マックスウェル電磁力学、量子力学の3者は膨大な実験と観測、そして基礎理論に裏打ちされて完成されたものです。一方の相対性理論は一握りの仮定からカリスマ的理論へと変貌したものです。それを分かり易い図で次に示しておきます。
 
 アインシュタインの“仮定”は間違っていたので、相対性理論はコテンとひっくりコケてしまいました。
 
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特に読んでほしいのは、窪田登司 自伝 の後半§16以降と
 
静止系と運動系についての反論者の部分です