Novel

サイバーポリス - 9

「返事早!」
 さっきまでの無音は一体何だったのか、今はやかましいくらいに震える携帯電話を取り落としそうになる。
 内容は「飯食ったら元気出た。気にすな」
当事者に言われると、何だかさっきの焦燥がアホみたいに思えてくる。
無駄に空白のあるメールをスクロールさせていくと、「これが番号」と一言添えられて、携帯電話の番号が書かれていた。
それを電話帳に登録してから、電話をかける。
「もしもし」
『ハイ、もしもし。……らえ?』
 多分からかっているのだろう、とぼけたようなその口調に、思わず噴き出してしまう。
『あがの知り合いに突然《とつでん》笑い出す変人は居てません』
「悪かったなあ、変人で」
 特徴のある抑揚。多分関西人だろうな。理由無く私はそう思った。
「怒っとる?」
『えー。そりゃ、『またか』思ったよ』
「ごめーん」
 本当にごめん。携帯にすがりつくようにして何度も謝ると、アーサはあっさりと『かまんよ』と言った。
「あんたってさぁ」
『何?』
「後に引かんよね」
『褒めとるの?』
「何言うてんの、一褒め十円になりますー。まいど!」
『褒められた方が払うんかい』
 お互いにひとしきり笑ってから、本題に戻る。
『向こうはDr.やったんやっしょ? ほんなら、向こうの手の内も読めたっしょー』
「……ごもっとも」
『まあ、次取り逃がしたらほんまにキーボードクラッシュしてまうかもやけど」
「『ほんまに』って、しかけたん?」
 アーサはその問いに、笑うばかりで答えてくれなかった。
――さりげなく怖い。

 どんな会話をしたら良いんだろう。必要なときにサイポリで会うことはあっても、こう何でもない話をするのは初めてだ。しかも、お互いに相手の顔も本名も知らない。
「ええ天気やったね」
 まあ、まずは当たり障りの無い話題から。
『そう? どてらいに曇っちゃーるけろも?』
 ――失敗したぁー!
「てかどこに住んどるん、自分」
『和歌山』
「遠ッ!」
 道理で関西っぽいと思うわけである。
『遠いって、キナコ大阪に住んじゃーるんやないん?』
「ああ、うち転勤族やねん。んで、現在地神奈川」
『どてらいねぇ』
 ふわぁ、と電話の向こうであくびの気配がした。
「寝坊?」
『いや。うん』
 アーサはうん、うん、と何かを確認するように頷いてから、言った。
『あがは玉置あさみじょ』
「はあ……。あ、うちは杲田樹夏こうだきなつ言うねん」
『よろしゅうな』
「よろしゅう……。なんか変な感じや」
 本当におかしい。本名は知らずとも、こないだまで、親友だったから。いやきっとこれからも。
『で、Dr.のことやけど』
「ああ、あれな」
 思い出しても、訳が分からない。
一体Dr.は何を言いたかったのか。
携帯の向こうで、またふわあ、とあくびの音がした。
『そのなぁ、聞いて欲しいことが、あるんじょ』
 眠いのか、途切れ途切れにアーサ――あさみは言う。
「何の話?」
『Dr.のあの発言について』
 少し驚きだ。Dr.の発言そのものが突飛過ぎて意味不明だし、なにより「アーサ」はあの場にいなかったのだから。
しかしあさみの言葉は、私の予想を遥か斜め上空へ飛び越えて行く。
『例えば、ネットの世界に意識飛ばせる言うたら、キナ信じる?』
「何かのSFの話?」
『現実デス』
 Dr.といい自分といい、何や電波同盟でも組んどるんか。
そう突っ込みたいのを堪えて、あさみに話の続きを促す。
『そう言う人間を”覚醒者”ちゅーんじょ。発生時期には個人差あるが、まあ、あがは子供ころもの時からそうやった』
「へぇ」
『で、”覚醒者”にとって現実世界はいきづらい』
「いきづらい?」
 煮え切らない声でうん、と呟くと、あさみは言う。
『空気が合わんの? ようわからんけど、ネットの世界にあるほうが落ち着くんじょ。けど、人が多いと』
 ダメ。そこまで言って、またあくび。
「つまり、自分は”覚醒者”でネットの世界に意識を飛ばすことが出来て」
 ふわ、相槌代わりのあくびが耳を突く。
「そして現実逃避で、ネットの世界に行くと。向こうのほうが心地よいから」
『現実逃避ちゃうわー』
「似たようなもんやろが」
 しかし、これはあくまであさみの身の上話に過ぎない。この情報が、一体なんの役に立つのだろう。
首をかしげて、ふと、あの言葉を思い出す。
――ここに来る人間が減れば、僕みたいな人間が気安くなるだろ
 瞬間、頭に電撃が走ったような気がした。
「アーサ!」
『さーよ』