Novel

亡国の獣 肆―五年後―

 そして五年が経つ。勇允は一五に、冲和は一三になった。月桂は――彼女はちょっと分からない。
 そう、”彼女”だったのだ。この五年で月桂の性別が判った。そして彼女が月見が好きだと言うことも。これは大きな進歩だ。
 闊達の家の中庭で、勇允は木刀の素振りをしていた。切っ先が風を切り、鋭い音を立てる以外はシンとしている。
 その沈黙を破るように、小さな影が勇允の目の端を横切った。
「勇允の兄貴! 月桂が街で暴れてる!」
 五年前とほとんど身長の変わらないその体が、全身で息をするように膝を付いた。
「どこだ」
「商店街で――官吏のいちゃもんに腹立てちゃ、て――殴り合いだよ! 異能使っちゃうかも!」
 冲和が最後まで言い切るのを待たないで、勇允は家を飛び出していた。

 晏月桂アンゲッケイ――。
 蝶々の形をした濃茶髪が美しい、十五、六の少女である。見た目に反して街一番の暴れ者として名高く、誇り高い獣。義民月桂といえば、彼女のことを指した。
 彼女は闊達の言いつけにより、買い出しに来ていた。
 馴染みの店から品物を受け取ろうと言うときに、聞こえてきた耳障りな声のせいで、月桂は盛大に顔をしかめた。
「今月分を支払ってもらおう。私が直々に徴収しに来たのだぞ、ほれ」
 高圧的に言って、片手を差し出した官吏は、でっぷり太っていて、その贅沢な暮らしぶりが知れようというものだ。
 街人は、その日暮らしが精一杯だというのに。
「ごめんよ月桂ちゃん、ほら、これ持ってすぐお帰り」
 小声で店主が言う。しかし月桂はかぶりを振ってそれに応じない。もう頭に血が行ってしまっている。買い物袋を店主に預け、何の前触れもなく官吏に殴りかかった。
「な、貴様! 悪人月桂! 相も変わらずこの県吏様に盾突こうというのか?」
 月桂は低く構え、官吏に突進した。そのまま隙だらけの腹に一発ぶち込む。
 官吏は痛みに体を曲げる。その隙に月桂が二発目を構えた。構えた拳が、氷を纏い始める。
「貴様……! おい、誰かこいつを捕らえろ」
 数人の下官がハッとしたように動き出す。しかし、日頃から鬱憤のたまっている街人達がそれを阻んだ。
 それと同時に、月桂は誰かに腕を強く引かれて人だかりを抜け出していた。
 何をする! そう怒鳴る官吏の声は遠くなっていった。

「何してんだ!」
「お前こそ」
 あの乱闘騒ぎの中に戻ろうとする月桂の腕を引きながら、勇允は路地裏を歩いていた。片手にはちゃんと買い物袋を握っている。
「怒る気持ちも分かるがじっとしててくれ」
 月桂からの返答はない。拗ねたな、こりゃ。
「闊達が行ってたろ、『今は雌伏の時だ』って」
 やはり返答はない。勇允はそのまま語り続けた。
「お前の気持ちも分かるよ。国は腐ってる。ああいう奴が県吏になるぐらいだ、世の中どうかしてる」
 ふと何かが焦げたような臭いが鼻を突いた。焼き魚だな。月桂がそう言った。臭いに引きずられて、五年前の記憶が蘇る。焦土となった故郷。理不尽に殺された人々。全てが王の疑心暗鬼で起こった出来事だ。
 ――許せない。
「痛い」
 月桂が声を上げた。いつの間にか、月桂を掴む手に力を込めていた。
「悪い」
 月桂がこちらを覗き込んでくる。その眼は、どうかしたのか、と無言のうちに訊いてくる。
「何でもない。ただ、やっぱりこんな世の中どうかしてるって思っただけだ」
 少し行けば、家の前で待っていたらしい冲和が手を振っていた。