「盈月様」
女中たちの、おびえたような、慌てたような声が駆け寄ってきた。
勇允達がその部屋に辿り着いたとき、既にそこは散々たる有り様だった。
戸は破れ、壁に穴が開いている。まるで猛獣が暴れたような惨状に、勇允はともかく盈月は呆然としていた。勇允たちの背後で、女中たちがわあわあとしゃべり出す。月桂が目を覚ました途端暴れ出したこと、何を言っても聞き入れてもらえなかったこと。
「何故……虧月、どうしてだ?」
「俺はその虧月って奴のことは知らないが、少なくとも“月桂”はこういう奴だ」
戦いがないと死んでしまうような。
実の妹のことをわかっていないなんて飛んだ兄貴だ。攫ったのはお前自身だろうが。勇允は内心毒づきながら、部屋の中の闇に向かって声をかけた。
「おい、生きてるか?」
ひどい思いやりである。
すると、張り詰めていた空気が少しだけ緩んだ。
「勇允?」
おずおずと、暗闇の中からしゃがれ声が投げかけられる。
「そう」
「虧月か? 私だ、盈月だ」
言いかけた勇允を押しのけて、盈月は呼びかける。
また暴れるだろう。何せあんなことをしかけた張本人だ――そんな勇允の予想に反し、月桂は狼狽したように黙り込んだ。
しばしの沈黙。
「盈月、か……」
月桂がその独特のかすれ声で、己の兄であろう人物に声をかけた。呼びかけると言うよりは、言葉をかみしめるというような響きで、その声は闇の中に消えた。若干息が上がっているのは、きっと暴れ回ったせいだろう。
「虧月! どうしてこんなことを」
盈月が周囲を見回した。勇允もつられるように視線を巡らせる。何度見てもひどい。切れるのは言った壁は頼りなくそこに存在しているだけで、風が吹いたら崩れるだろう。床には木屑が散っていて、上質なはずの木目を曇らせていた。
「一体どうしたというのだ。六年前お前に何があった。この男は一体何者だ。ええい、聞きたいことは山ほどある」
部屋に入らなかったのは、壁の向こうの相手に負担をかけさせないためだ。
だというのに。
盈月が月桂――虧月のいる部屋へと踏み込もうとした。なんとも図太いやつだと勇允は思う。あるいは度の過ぎた妹思いとでも言えばいいのか。
とにかく盈月が踏み込もうとした、そのとき。
「来るな!」
部屋の奥から、悲鳴のようなかすれ声が飛んできた。それを聞きつけた女中たちが慌てて駆けつける。盈月は彼女らに何でもないと言いつけた。女中たちは渋々、といった様子で帰って行く。野次馬根性があったのだろう。
女中らが去った後、月桂は二三度空咳をしてから、言った。
「とにかく、来るな。六年前のこと、全部、話す。だから、来るな」
その声は、どこか手負いの獣のように強い警戒をにじませていた。