道端に浮浪人が横たわっている以外は、道は閑寂としていた。まだ早朝だ、無理もない。
浦西(ラセイ)から外界へ続く、一本道だ。馬車一台が通るのでやっとと思うほど道は狭く、道の脇にはぼうぼうと野草が生えている。この街道が浦西の命綱なのかと思うと、少々頼りなく思えた。道の脇には荷馬車が捨ててある。
勇丁(ユウトウ)と月桂は、道の先を見つめていた。月桂の手には彼女の得物である、槍。勇丁は剣を背負っていた。ちなみに、闊達は二人の背後で角と何やら話し込んでいる。珍しく真面目だ。
「ここ、まっすぐ、行けば、浦萼(ラガク)」
道の先を指差しながら、月桂が掠れ声で言った。どこか好奇心に満ちた声音だ。
彼女のひとくくりにした濃茶の髪が風になびいた。
「そうだな」
勇丁は頷いた。くすんだ若葉色の衣が風にたなびく。つくづく自分に似合わない色だと思う。ふと勇丁は首を月桂の方に向けて、問うた。呟くような声だった。
「そう言えば、月桂って浦西育ちなんだっけか」
その問いに月桂はこくりと頷いた。
「たしか」
「俺と冲和がここに流れてきたときに遇ったのが最初だな」
「ああ」
くくくっと月桂がのどを引きつらせた。
「懐かしいな」
「そうだな、五年ぶりだ」
そう呟く声に、翳りがあるのを勇丁は自覚していた。五年前。その数字には嫌な響きがある。昨晩見た夢を思い出す。嫌な夢だった。人の琴線を土足で踏みにじるような。
「どうか、したか」
そう言う月桂の瞳には心配そうな色がある。勇丁は首を振って応えた。そうすることで自身の思いを否定するように。
「月桂は知ってるか?」
「何を」
「王都への道」
月桂はしばらく考え込んだ後、ふるふると首を振った。
それを見て、勇丁は道の先を指さす。
「ここから浦萼までまっすぐ東へ」
月桂が勇丁の指さす方を向いた。大安国は四角を斜めに押しつぶしたような形をしていて、浦萼はちょうどその真ん中に当たる。王都はその若干北に位置しているのだ。無学の勇丁だってそれぐらいは知っている。
「そうして浦萼にたどりついたら、ええと」
「北上して王都大京、でしょ」
見知った声が勇丁の声を遮った。昨日よりかはましになった包帯だらけの人物に、勇丁は米神を押さえながら言った。
「冲和、何で来た。てか、なんで今日のこと知ってんだお前」
この阿呆め。勇丁が内心毒づいたのは仕方がない。
「いや、別に連れてって欲しいとかじゃないんだ。これ」
冲和は懐からなにかが大量に詰まった袋を差し出し、勇丁に押しつける。あとこれもね、と月桂になにやら墨で書かれた木札を渡す。
袋は予想以上にずっしり重く、腹にのしかかるようだった。抱えるようにそれを持つ。あまりの重さに言葉が出ず、言葉を探して魚のように二三、口を開閉する。ようやっと出てきた言葉は感謝の言葉でも何でもなく、「なんなんだこれは」という戸惑いのものだった。
「何って兄貴、餞別だよ。旅立つ仲間にせめてもの手向けをってね」
「だからってこんなに……。俺らが賊に襲われやすくなったらお前のせいだからな」
「そこは兄貴の技量でしょ。馬の手配でもしようかと思ったんだけど、この体じゃ無理があるからね」
ごめんね、とうつむく冲和の頭に、勇丁は軽く手を乗せた。
「十分だ」
「そうかい?」
ほっとしたように冲和が顔を上げる。そして何かを思い出したかのようにああ、と声を上げた。
「それでその木札だけどね、持ってるとすごく良いことがあるよ」
月桂の持つ木札を示しながら言う。月桂はといえば、陽にすかすようにして木札を検分しているところだった。余計に見辛くはないだろうか。
「具体的には」
「安く物が買いものができるよ」
いたずらが成功した子どものように冲和が言う。
「それは助かる」
やはり金がらみなのが冲和らしいが、勇丁達はありがたくそれを受け取ることにした。安い買い物はできたほうがいい。
「お前達、用意は出来たか」
闊達がこちらにのしのしと歩いてくる。その前を、元気よく少年が駆けている。
それじゃあね、冲和はそう言い残し町の方へ歩いて行った。
「いつのまに来ていたんだ」
「あんたらが話し合ってる間にさ」
「ふむ、そうか。ところで準備は」
「万端」
月桂が抑えめな声で答えた。
角が小さい歩みでこちらに近づいてくる。
「うむ。ではそろそろ出発だな」
うんうん。頷きながら角は言う。
「何を話していたのだ?」
冲和が歩いて行った方を眺めながら、角が問う。
「別れの挨拶さ」
闊達はそう言って両手を打ち合わせた。乾いた音が、静謐とした早朝の空気の中に響いた。いよいよ行くのだな。冲和から貰った金子袋を荷物の中に纏め、勇丁はぐっと身を引き締めた。
「さて、行こうか」