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亡国の獣 二章 二

「あっちだ」
 角が道の端に止められた荷馬車を示した。どうやらあれは角のものだったらしい。
「あれに乗ってきたのだ」
 そう言いながら、角は荷馬車の方へ駆けていく。なんだか冲和に申し訳ない気持ちになりなるが、背に腹は代えられぬ。勇丁も馬車に近寄った。
不意に月桂が立ち止まったかと思うと、得物の槍を構えた。そのまま勇丁、角を追い抜き、荷馬車を睨む。
その動きに呼応するように、荷台が揺れ、その中から二人組の男が現れた。
賊だ。
勇丁がそう思ったのが早かったか、それとも月桂が得物を振るったのが早かったか。
ともかく、一瞬だった。
賊の一人、小さい方が刀を振り下ろす。月桂がそれを槍で受け止めた。
ひ、と角が小さな悲鳴を上げた。
その方へもう一人の大きい方の賊が野性の眼を向けた。男が角の方へ迫る。咄嗟に勇丁は角と黒い賊の間に割って入った。勇丁の剣と、賊の刀とが競り合う。
金属同士が擦れ合う音がした。嫌な音が静かな路上に響き渡る。
「童(わっぱ)を渡せ」
「は」
 どういうこった。勇丁のそれは、声にならなかった。
刀が一瞬離れ、賊が大きく刀を振りかぶった。横から叩くように繰り出されたそれに、姿勢を崩される。
大きな賊が渾身の力でもって突進してくる。勇丁は横転してそれをよけた。
勇丁の視界が安定するのと、角の悲鳴が鳴るのとは同じであった。慣れないことはするもんじゃない。
振り向けば、大きな賊に短刀を突きつけられた角がそこにいた。
「貴様……」
 下劣な行動に腹が立つ。そして非力な角にも苛立った。けれど勇丁は彼を守らなければならないのだ。
――あんなちっぽけな存在すら守れない、自分自身にも腹が立つ。
 ちらりと小さい方へと目をやれば、目を血走らせた月桂が圧倒しているところだった。
闊達の方へ目をやった。刀を抜いていた。意図を察して、勇丁は静観に回る。
闊達はそのままのらくらと素人のような捌きで黒い賊に斬りかかる。
「おおっと」
「なにをする!」
 体重に物を言わせた一撃は、存外重いらしい。賊はそれを両手で受け止める。突きつけられた凶器の消えた角が、賊の腕の中から逃げ出した。
「上出来だぜ、おっさん」
呟いて、勇丁は両手を賊に向けて広げた。これこそが闊達の真意だ。諒解したと、闊達が賊から離れた。
腹の中から力があふれてくるのを感じる。その力の奔流は体中を巡って、掌から炎があふれ出る。
異能の、獣の力の一つだ。
火焔が賊の行く手を遮った。眩しい赤で、一瞬賊の姿が見えなくなる。
 炎の壁だ。
姿が見えなくても分かる。紅色の陽炎の向こうで、賊が驚き、怯えているのが。
「おお、凄いぞ!」
「上達したなあ、誇らしいぞ!」
「後ろの馬鹿二人とっとと逃げやがれ!」
 軽く殺気立ちながら勇丁は角と闊達に言い放った。そろそろ手が限界に近いのだが、早くどっかに行ってくれないだろうか。
「諒解した」
 言わんでもしてくれ。心の中で切にそう思った勇丁は悪くない。
「先、行く」
「おう」
 月桂が走り去ったのを気配で察知して、勇丁は腕を横薙ぎに振った。
 炎が一瞬幕のように広がる。けれどこれはただの陽炎に過ぎない。相手がひるんでいる隙を突いて、勇丁も走り出した。豆粒ほどに小さくなった三人の後を追いかける。
足の速さで自分の右に出る者はいまい、と言う自負が勇丁にはある。そしてその自負は実力を裏切らない。
あっという間に、先を行く二人に追いつき、そして追い越した。
 しばらく走ったところで、全員がへたり込んだ。腹がよじれるように痛い。呼吸が苦しい。三人のゼイゼイという荒い呼吸が異口同音に響く。
「飢えた野犬のようだな」
 見苦しい。途中から闊達に抱えられていた角は、一人立って他四人を見下ろし、そう呟いた。
「何というか、死屍累々だな。役に立たん」
 お前が言うな! 角以外の全員が思ったに違いない。逃げる最中、ずっと足手まといだったろうが。
最初に復活したのは月桂だった。槍を支えに、片膝を立てて呼吸を落ち着かせている。次点が闊達。勇丁は最後の最後までへばっていた。異能を使ったせいだ。断じて体力がないわけじゃない。
「まあ、きゃつらが追ってくる様子はない。安心してへばっているが良いぞ」
 そう言って角は腰に手を当てた。
 角の態度に呆れて声も出ないが、確かに見張りにはもってこいかも知れない。勇丁は少年のやりたいようにさせることにした。
「けど何でお前は狙われてたんだ?」
 勇丁が問うと、角はふいと視線をそらせて、まくし立てるように言う。
「知らん、私は知らんぞ」
「ふうん」
「そんなことよりも、ほら、郷が」
 ごまかすように角は地面に落ちていた看板を指さした。掠れていて、文字は読めない。視線を上げれば見るも無惨に焼き尽くされた郷が広がっている。元々ここは名無しの郷だ。浦西では無名郷(むみょうごう)と呼ばれていた。
「どこにあるんだ」
 勇丁の反駁に、角が言葉を詰まらせた。否、言葉を失っているといった方が正しいのかも知れない。