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亡国の獣 一章 五

「ゆうと」
「なにをしておる二人とも。冲和がなにやら神妙な顔をしておったぞ」
 月桂の言葉を遮って、豪快な声が藪の中に轟いた。頼むからここで大声は出さないで欲しいと勇丁が注意しようとすると、
「ふうむ、なるほど、そういう訳か。うむ」
 なにも隠し立てせずとも良いものを。と一人でなにか頷いている。勇丁は月桂と自分の距離がやたら近いのを自覚した。そして冲和の表情。ああ、面倒なことになった。
「先に行っとくぞ、あんたの期待するようなことは何もない」
 手元でもぞもぞ動き出した角を押さえつけながら、勇丁は言う。というか、この月桂にそんな感情はないだろうよ。――そう気を逸らしたのが悪かった。
「ウリン殿、ウリン殿ではありませんか! 見つけましたぞ」
「……人違いではありませんかな。私は”ウリン”なぞという名ではない――私は闊達と申す者だ」
 勇丁が力を抜いた隙を突いて、藪から角が姿を現した。嬉々とした表情で闊達に詰め寄る。だが当の闊達は驚きと困惑がない交ぜになったような、奇妙な表情をしていた。端から見ていれば、離ればなれだった親子が再会した瞬間に見えなくもない。
「何者だ、お前」
 氷のような冷たい声で言い放ち、月桂が角の首筋にぴたりと木の棒を突きつけた。
 しかし角はそんなもの意中にないとでも言いたげに、ああ、そうだと暢気に手を打ちあわせた。それはなにかたくらみごとを思いついた子どもに似ていた。
「お主らの腕を見込んで、護衛を頼みたいのだ」
 昨日の騒ぎは見事であった。少年はやたらと尊大な態度で言う。
「諸事情で今金が手元にないのだが、無事に送り届けてくれれば金三百方(ほう)を払おう――どうだね」
 年の割に偉ぶった角の言葉を訝しみながら、勇丁は問うた。
「どこまでだ」
「王都、大京(たいけい)だ」

 隠れ家にものは少ない。簡素な作りで、家に上がるとすぐに居間がある。その埃っぽい居間に置かれた四角い卓子を囲うようにして、北から角、闊達、月桂、勇丁の順番で座っていた。
「少し聞いた」
 膝の上に顎を置き、月桂が言った。
 それ以上は語らない。ただ、眼には静かな怒りを湛えている。勝手に隠れ家近くまで侵入されたこと、そして勇丁がそれを不本意ながらも許容し、あまつさえ隠蔽しようとしたこと。つまり先程の勇丁の行動が彼女の琴線に触れたのだろう。
 その視線の鋭さたるや、二つの黒曜石に炎が点ったかのようだ。
「どうする?」
 沈黙を破るかのように月桂が問う。
 この者の言葉は信用できるのか、と。
 ――本当に王都へ行くのか、と。
「王は斃さなくちゃなんねぇよ」
 重い口をこじ開けるように言った。勇丁の、それが答えだった。
 呆れたように月桂が相好を崩した。ぴんと張っていた糸が緩んだような、そんな錯覚を覚える。
 勇丁は立ち上がり、角の方を向く。
「おいお前、本当に金は出るんだな」
 正直金のことなんてどうでもよかった。ただ王を斃せればそれでいいのだ。威圧的な勇丁の問いに角は首を竦めて、それが、と苦い表情になる。
「言ったであろう、私は羽林殿を頼りにしてここにきたと」
「そういえば、そうだな」
 角は不遜をそのままに、にこりと笑った。何だか老成したような、年に合わない笑みだ。なんだか嫌な予感がして、勇丁は何にとはなく身構えた。
「……お前、昨日の晩はどこに泊まったんだ?」
「それが問題なのだ。昨日宿をとったのはいいものの、それが、まあ――黴臭いし埃っぽいし、おまけにそんな酷い場所だというのに相場の五倍はしたのだが」
「くれてやったのかよ!」
 勇丁は思わず机を叩いていた。その音に角は目を瞬かせて、まあそういうことなのだ、と暢気に返す。それがさっき言っていた「諸事情」か。その場に項垂れそうになるのを必死でこらえて、お前は阿呆か、と呟く。もはや呆れ返って返す言葉もない。
 目元が陰になっていて闊達の詳しい表情は読み取れない。
「どうするよ、闊達」
 勇丁たちの中で、最年長は闊達だ。故に闊達の発言は暗黙裏にこの中で最も強い力を持っている。だから、勇丁は闊達に答えを促した。
 闊達は固く固まった眉間を揉みほぐすようにしてから、重い口を開いた。
「私は反対だ」
「は? なんでだよ。最初に義勇団を作るっつったの、闊達だろ?」
 勇丁がそう問い詰めると、闊達は何かを言おうとして、言い淀んだように見えた。
「何なんだよ、お前は昔から……」
 なんだか酷く裏切られた、とはいかずとも、期待外れだと思った。最初に会った時は、とてもすごいやつだと思ったのに。最近はいつもこうだ。優柔不断。その癖、勇丁にとっての数少ない「理解者」であり、唯一の「保護者」。
「行くとか行かないとか! 俺だってもう十五だ、いつまでもあんたに縛られてるわけじゃない」
 片手を振りかざして、勇丁が怒鳴る。闊達は苦い顔になった。そうして、勇丁の瞳に込められた真剣さを読み取ったようだった。それに気圧されたかのように息を呑む。口に含んでいた何か苦いものを、飲み下したようにも見えた。
「……わかった。行ってみるか」
 至極穏やかな声で闊達は言った。つまり闊達が許した、と言うことになる。
「笑ってる場合じゃあないと思うがな」
 椅子の上で相好を崩しながら勇丁は言った。その口元は緩く笑んでいる。
「しかし、とんでもない茨の道よな」
 呟くように闊達が言う。
 そう、茨の道なのだ。勇丁達がしているのは官吏達への反逆。王に背くことである。
 ――だからなんだ。
 先に民を裏切ったのは王の方だ。
 膝の上で、人知れず勇丁はぐっと拳を握りしめた。