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亡国の獣 一章 四

 それよりも、と角と名乗った少年は周囲に視線を巡らせた。
「羽林殿はおらんかな。ここに来ればお会いできると伺ったが」
「ウリン?」
 聞いたことのない名前だ。そんな奴はいない、と少年に告げると、角はううむ、と眉をひそめた。
「困った。行く先がない」
 はあ? 勇丁と冲和は互いに顔を見合わせた。
「この街に来たら、ウリン殿のところに身を寄せようと思っていたのだ」
「居場所も分からないのにか?」
「ああ」
 当然だ。といわんばかりの角の態度に、冲和が変なの、と呟いた。
 毒気を抜きにくるような角の言動にため息をついてから、勇丁は問うた。
「どうやってここの場所を知った?」
「街でウリン殿のことを訊いたのだ。そうしたらこいつが」
 角は冲和の方を向いて言った。
「ウリン殿のことを知っていると言うから」
「僕が知っているのは」
 冲和がそこで勇丁の視線に気づいて、口をつぐんだ。
「冲和、お前もう帰れ」
「でも」
 冲和の視線が一瞬宙をさまよう。角の手前、口には出さないが、月桂に挨拶したかったんだけど――そう言いたいのが分かる。とは行っても、ここで下手に「阿茶」の本性を明かせない。昨日のような囮作戦が出来なくなる。「阿茶」は月桂が乱闘騒ぎをこすための名前なのだ。
「分かった」
「ついでにこいつ引き取ってくれ」
「えぇー。……勇丁の兄貴が滞在費と、あと、治療費払ってくれるなら考えるけど」
「この守銭奴。少なくとも表までは連れてけ。お前も」
 そこでいったん言葉を切り、角に目を向ける。
「ここのことを口外するな、分かったな」
 勇丁がそう釘を刺す。角はどうも世間知らずらしい。勇丁が少し凄んだだけでおびえたように頷いた。しかしはくはくと口を上下させている。何かと思うと、彼は震える声で「昨日の……」と呟いた。
「は?」
「昨日の乱闘騒ぎは見事なものであったぞ! あの阿茶とやらがか県令を引き付ける囮であったのだな!」
 少年はどうだ、と言わんばかりの表情だ。だかその言葉に、勇丁の角に対する警戒は否応なく跳ね上がる。これでは秘密の八割を握られたも同然だ。こんな小さな子供に。
「おい、冲和」
「……うん」
 低い声で冲和に声をかけると、物分りのいい弟分は頷くだけで返した。そして冲和はずるずると片足を引き摺りながら、やや緊張した声音で角に行くよ、と声をかける。
 冲和が角を伴って表の方へ歩いて行く。よし行け、そして冲和、お前は寝ろ。
 勇丁がそう思った瞬間、
「冲和?」
 がさり、と藪が揺れて、遠くで月桂の声がする。街で金をばらまくのが終わったのだろう。なんて間の悪い!
 勇丁は弾かれたように冲和の方に駆け寄った。
 その後ろに立つ角を藪の中に押し込む。
 ふぎゃ、と角がつぶれたような声を上げた。
 角が見えないよう彼の前に立ち、押さえつける。
「どうした、勇丁」
 月桂が独特のしゃがれ声で問うた。それに慌てて応える。
「なんでもない、なんでもない」
「そうか」
 言いながら、月桂は視線だけ冲和に向けた。そして眉を寄せる。
「すまない」
「いいよ、遅かれ早かれこうなってたんだし」
 冲和はそう言い、包帯に覆われた手を目元まで掲げて笑って見せた。
「だって癪じゃないか。あんなヤツらに税を払うなんてさ、だったら死んだ方がましだと思わないかい」
「吝嗇、だな」
 月桂の声が上擦った。笑ったのだ。冲和はそれに憤慨したような声を上げた。
「違うよ。僕は金の亡者かもしれないけど吝嗇じゃない」
「自分でそれを言うか」
 心底呆れた。と勇丁がため息をつくと、だってお金は大事だ。と来る。
 月桂が引きつけのような笑い声を上げた。
「冲和、早く、帰れ。長居は、良くない」
 それを聞いて、冲和は驚いたように目を見開いて、気まずそうに勇丁の方を振り向いた。正確には、角の隠れる藪の中、である。
「ええと、僕、まだ帰りたくはない、かな」
「何故?」
「理由は言えないんだけど」
 尻すぼみな冲和の口調に、月桂の表情が一気に不審そうなものになる。
 月桂の視線が冲和、そして勇丁を射止める。勇丁が角を押さえつけているのを見抜かれたような気がして、気が気じゃない。
 すう、と周りの温度が下がった気がした。
 ――面倒なことになるぞ。
 勘でそう思った。
「勇丁」
 冷徹な月桂の声が耳を刺す。冷たい視線を真っ向から受ける。
 月桂が足下の木の棒を拾った。
 それを勇丁の腕に当てる。角を押さえている腕に、だ。
 月桂が静かに言った。
「何が、いる?」
 答える代わりに、勇丁は俯き大仰にため息をついた。突き出されると思ったのか、藪の中で角がびくりと身を強張らせた気配がした。
「兄貴……?」
「冲和、お前は帰れ」
「……わかった」
 冲和は何か言いたげにしていたが、片足を引き摺りながらその場を立ち去って行った。