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亡国の獣 一章 三

 勇丁と月桂は隠れ家で、本日の取れ高を検分していた。
 すべてあの肥えた県令が蓄えていた金である。焼けた屋敷に放心しているかもしれないが、特に胸は痛まない。重税をかけて人々を苦しめていたのは向こうだ。全くの自業自得である。
「惜しいよな、これを全部撒いちまうのかよ」
 未練たらたら、といった様子で勇丁は言った。
「ん。これだけ、なら、王都、行ける」
 勇丁の不満に同調するように、月桂も頷く。
「そりゃあいけんよ」
 家の奥から響く、ものぐさな声が二人を制止した。
 現れたのは熊のような大男である。ぼさぼさの頭に、笑い皺が特徴的な壮年の男。二人の恩人にして、保護者、闊達だ。
「それは元々人様の金だ。我々が勝手に使うことはできん」
 家主である闊達は、二人にそう言い放ってどかりと椅子に座り込み、呵々と笑った。
「我々が今すべきなのは、富裕に甘んずる官吏貴族からあらゆる手段を講じてその財産を奪い取り、貧苦にあえぐ者達へ、救いの手をさしのべることだ」
 家主のそんな態度に、勇丁は苛立った声を上げた。そして堅い音。勇丁の拳が、卓子(つくえ)を殴ったのだ。
「いい加減にしろよ!」
 怒鳴られて、闊達は笑うのをやめた。たたみかけるように勇丁は言い昂る。
「アンタはいっつもそればっかじゃねえか。『救いの手をさしのべる』って、俺らは神の使いかよ! おっさんがそんなんだから、俺が県令の屋敷を焼いたんだろが!」
 闊達はそれを聞いて、何かを考えるようにふむ、と口元に手を当てた。
「だが、その所為で冲和が大怪我を負ったのだろう?」
 静かな声て言われたそれは、確かに事実だ。勇丁は言葉に詰まって俯いた。
 闊達がふう、と息を吐く音が聞こえた。
「では、王都へ行って、なんとする?」
 闊達は静かに言って、勇丁の目を見据えた。
「決まってるだろ」
 拳を握りしめて、勇丁はまっすぐ闊達の目を見返す。
「王を斃す」
 淡々と、事実を述べるように勇丁は言った。
「あんな官吏がいるのは王のせいだろう。県令は王が決めるんだって、前に闊達が言ってたじゃねえか。じゃあ、浦西がこんなに苦しいのは王のせいだ」
「うむう」
 もう今更わかりきっていたことだ。月桂も闊達も何も言わない。
 沈黙が、しばらく隠れ家を支配した。
 ぐらぐらと腹の底が煮えたぎるようだった。王は敵だ。倒すべき敵だ。弟分が傷つけられたのも、今の生活がこんなに苦しいのも、勇丁が罪人に仕立て上げられたのも、全て王のせいなのだ。
 だからだからだから――。
 ぐるぐると回る思考を遮るように、ぱんと小気味いい音が響いた。音の方へ目を遣れば、どうやら闊達が手を叩いたらしいことが分かった。
「いずれにせよ、もう夕餉の時間を過ぎている」
 確かに窓の外は真っ暗だ。
 闊達のあからさまな話題逸らしに、勇丁は煮え切らない感情をもてあまして顔をしかめた。今更何を言ったって反対されるのは目に見えている。しかし腹が減っているのも事実であるので、渋々頷いた。
「さて、今日は何にするか」
「どーせ昨日と同じだろ」
「肉、貰った」
「本当か!」
 月桂の報告に、先程までの重苦しい空気はどこへやら。いつも通りの賑やかな食卓が戻ってきた。
そして日はまた昇る。それなりに日が昇った頃に勇丁は目を覚ました。
 勇丁を叩き起こしたのは、弟分の冲和の来訪である。冲和はお礼と称して隠れ家にやってきた。戸を開けた瞬間勇丁が眉をひそめたのはこの際致し方ないと思う。
「お、前……。寝てろよ」
「いや、うちで寝てても暇だし」
 そういう冲和は、顔は左目にわかりやすいぐらいの痣ができている。左足をずるずる引き摺っていて、比較的腕はましだが、見える部分はすべて包帯がまかれていると考えた方が良さそうだ。昨日ちゃんと医者に行ったらしい。
 だが、どこからどう見ても重傷人の態である。一体どうしてこれで布団から起きようと思ったのか。見ているこちらが痛いから、横になっていてほしい、とは勇丁の心情だ。
「『暇』、じゃ、ねえよ。寝てろ、阿呆!」
 弟分の痛々しい姿に頭が痛くなる。昨日だって滲んだ血が生々しかったのに、今日は別の意味で生々しい。
「お店で寝てたって一方(いちほう)も儲からないじゃないか」
 だったらまだお礼に来た方がましだね。という冲和の言葉に、勇丁はもはや呆れてこの守銭奴め、と呟くことしかできない。一方の冲和は守銭奴? 褒め言葉だね、といった状態だ。また頬をつねってやろうか。
「ところで」
 勇丁が急に訝しげな態度になる。同時に冲和の表情が改まった。
「後ろのそいつは誰だ」
「え?」
 勇丁は冲和の背後を指さした。冲和は振り向こうとして、痛みに顔をゆがめていた。そらみろ素直に寝ていないからだ。
 隠れ家は街から少し離れたところにあって、しかも藪におおわれているので人が寄りつかない。そうなるように作られているからだ。いつも県令に喧嘩を売る「阿茶」の棲家だからである。
 そんな隠れ家に人が寄りついたとなれば、警戒するのが道理であろう。
「おい、お前。出てこい」
 隠れ家を覆う藪の中に、一人の少年が隠れていた。がさり、藪が揺れる。そこには、勇丁よりも幼い、七ぐらいの少年が立っていた。荷物は少なく、やたら小綺麗。それが彼に対する第一印象だ。この街では確実に浮いている。
 何だか肩すかしを食らったような気分になった。それでも警戒は怠らず、勇丁は問うた。
「お前は何者だ?」
「角だ。それ以上は名乗れん」
「は?」