埃の積もった部屋を見て、一行が真っ先に行うべき仕事は掃除と相成った。ところが早々にアルファードは戦力外通告を出されてしまった。家事が不得手だという自覚はある。なのでアルファードにできることと言えば、サイやトッドに掃除道具の位置を教えることか、二人の邪魔にならないようにすることぐらいだった。
終わった頃にはすっかり夜も更けて、客人の二人は空いている部屋に倒れ込んだ。
アルファードはと言えば、部屋を貸したのでソファで寝るしかない。それをトッドに告げた時の顔と言ったらなかった。アルファードだってベッドで寝たい。
けれど男との同室はぞっとしない。女の子との同衾は……考えなくもないが、サイはどう見ても未成年だ。軍人としてそういった行いは控えねばなるまい。
暖炉の灯火が眠気を誘う。もう厳寒期を脱している夜の僅かな冷気は、むしろ心地いいぐらいだ。トッドが聞けば信じられないと目を剥くだろうが。
そうやってアルファードがソファの上でうとうとし始めていた頃だった。
「いつの間に。帰ってきてたんだ」
後で思い返せば棘のある声に違いなかった。それでも夢現にあったアルファードは、なんだオンニか、と世間話でもするかのように返したのだった。
そのせいだろう。オンニが言葉を詰まらせた。代わりに締め切られたはずの家の中で、 巻き起こった冷気が暖炉の炎を揺らした。
冷たい風に頬を撫でられ、急速に眠気が覚めていく気がする。はっとして背後を振り仰ぐと、そこには無表情のサイが――否、弟が立っていた。
「うちの中でその恰好見たくないんだよね」
弟の冷たい黒い目がアルファードを見下ろす。正確には彼の着る軍服に視線が注がれている。アルファードは弟の来歴を思い出して、さっと顔を俯けた。
「……悪かったよ。着替えがないんだ」
少なくともオンニは軍が嫌いだった。本人が言うように、軍服を見るのも嫌というほどに。それが今や北方司令部所属の、一端の軍人なのだった。アルファードは弟がどういう思いで軍人になったのかは知らない。ただオンニは十九歳の春、徴兵されて軍人になった。その事実があるだけだ。
「大変ですねー、中央のエリートさんは。接待もしなきゃなんないなんてさ」
気のない声でオンニが言った。暗にサイとトッドのことを言っているんだろうとは考えて、もしかすると聡いこの弟は自分の任務を察しているのかもしれないとも思った。あるいは北方司令部ですれちがったのかもしれないとも。
いずれにせよ、弟は怒っている。アルファードはそう直感した。排他的なノリンの中でも特に排他的なオンニが、自分の家に余所者を泊めることを許容するとはとても思えない。
――うっかりしていた!
今更そのことを思い出したって後の祭りだし、スコーリン村には宿がないのだから結局ここに泊めることになるだろう。オンニならそれでもプーリャニジェから通え、なんて言い出しそうだが。
「……なあ、オンニ」
「うちに泊まっている人間は二人、男女それぞれ一人ずつ。身なりや持ち物からして民間人だね、特に男の方は何かの職人かな」
突然背後に立っていたオンニが目の前に現れたかと思うと、つらつらと情報を提示し始めた。その正確さに、アルファードは無言で頷くしかない。
「根拠は」そこで一瞬オンニが顔をしかめた。「男が工具を持ち歩いてたことと、これが最大の理由なんだけど、服が鉄臭いというか、油臭かった。あれはこびりついて落ちなくなった類の臭いだね」
人んちに何してくれるんだか、と吐き捨ててから、オンニ指を立てた。
「次に女――少女って言ったほうがいいかな、とにかく彼女の方。彼女はレイピアを持ち歩いていた。が今時レイピアを常時携帯するような軍人がいるかい? 何より私服だったし」
そこでオンニの黒い目が睨むようにアルファードを見た。それが仕切り直すように瞬かれ、弾丸のように言葉の続きが紡がれる。
「当然服を剥くようなことはしていないよ。けど、彼女が着ているあのセーター、あれ兄さんのじゃないのかい」
「へ」
一瞬何を言われたのかわからず、変な声が出た。オンニはそれに呆れたような顔をして、がしがしと前髪を掻き上げた。
「いや、別に、僕は兄さんの好みに口出しする立場じゃないが、あまり若い子は」
「誤解だ! あれを着せたのはマールファ伯母さんだ!」
ふうん、と疑わしげにアルファードを一瞥してから、オンニは話の続きを語る。
「まあ、事実はどうあれ、彼女は民間人だ。そもそもこの国の人間ではない。これは男にも言えることだけれど」
「というと」
無論アルファードは、サイとトッドが異邦人であることは知っている。だがそれを知らないオンニがどこまで真実に近づけるか、ここまでくると興味が湧いていた。続きを促すと、オンニはそこで肩をすくめた。
「確証に欠けるからね、これ以上の証明はなしだよ」
オンニは養父の影響で研究者染みたところがあった。そのせいか、自分が確信をもって(ないしは証拠をもって)いない推論を語りたがらないきらいがある。
「ま、フィンクシ皇領の人間なんて余所者過ぎて追い出す気にもならないよ。……兄さんが危惧してたのはそこだろ」
「……流石だ、オンニ」
アルファードは目を瞬かせた。フィンクシ皇領はクローヴル属するグラソン皇領の隣を陣取る地域である。確証はなくとも、少なくとも彼らの出身を推測するまでには至ったらしい。出身を推測するに至ったということは、おそらく彼らの寝言か何かで母国語を推定したのだろう。
相変わらず、この弟には敵わないと思う。肉体的な制圧ならまだしも、頭脳的な制圧は不可能だ。養父が学校をやっていた時だって、大人たちを出し抜いて学校一の頭脳の持ち主だったというし。
ここは素直に今回の計画のことを話してしまったほうが早いだろう。そう思って、アルファードは自分の目的と、彼ら――サイとトッドがそれについてきたわけを話した。
オンニの反応は反対するでも激昂するでもなく、ただただ淡々としたものだった。例えば、無謀を企む子どもを眺める大人のような。
「へえ、遺跡の光石をねえ。……出来るとは思わないけど」
「彼らの行動を監視してくれればそれでいい」
「そもそも、あの遺跡は誰かさんのせいで民間人立ち入り禁止じゃなかったかい」
オンニの黒い目が意味深にこちらを向いた。
「その件に関してはちゃんと譲歩させただろう」
「譲歩?」
言って、オンニは鼻で嗤う。
「本来譲歩するべきなのはそっちじゃない、こっちだ。あの遺跡はノリンのものだ。それを――」
「それはそうと」
過熱するオンニとこれ以上議論しても時間の無駄だと判断して、話を打ち切る。この件に関してはどこまで行っても平行線なのは見えているのに、この弟は変なところで諦めが悪い。
「何やってるんだお前。寝室に立ち入るどころか客の荷物を漁るなんて」
「取って付けたようなお小言だね」
言ってオンニは肩を竦めた。呆れたような、どこか馬鹿にしたような調子だった。
「僕が余所者嫌いなのが分かってて、その危惧をしてただろうに」
そこを突かれると何も言えなくなる。この話を引きずるのは自分に不利益しかないことを悟って、再びアルファードは強引に話題転換を図った。情報収集の基本は会話を途切れさせないことだ。
「それにしても、埃臭いな」
「ああ、そうだね」
オンニはアルファードが話題の論点を振り回すことに何も言わず、ただ目を閉じた。どうにも疲れたような態度だ。
今はそうでもないが、昼間掃除した時は本当にひどかった。アルファードは他人事のように考えて、プーリャニジェから離れたこの家なら仕方がないとも思う。多分オンニは軍の宿舎を使っているのだろう。それで掃除が行き届いていなかったのだ。
「僕が言えた義理じゃないが、たまにはちゃんと帰れよ。……埃が積もって辛いのは、お前だろ」
言葉を選びつつ、たまにはこの家に帰ってきたほうがいい旨を告げる。だが同時に、弟にとってこの家は変化のない、埃の積もった状態が最善なのかもしれないとも思う。
オンニは眠たいのか、アルファードの諫言を聞いても少しの間無反応だった。やがてゆっくりと瞼を持ち上げて応えた。思ったとおり、オンニからの返答は心無いものだった。恨みがましいとも取れるような。
「ああ、しばらく留守にしてたからね」
黒い眼(まなこ)はどこか虚ろに虚空を眺めていた。
やがてオンニはふらふらと暖炉のほうへ立って、何をするでもなく暖炉の上に置かれたマッチを眺めてからその傍に置かれている写真を手に取った。
「僕、国境警備してたから、なかなか帰って来られなくてね」
そうして、何気ないようにオンニは言う。
「国境警備?」
さりとてアルファードは初耳だ。思わず声が裏返る。
言ってなかったっけねえ、と弟はとぼけた。北部の国境警備小屋は、中央でも自然の中の監獄と悪名高かった。なんでも雪原の中にぽつんと粗末な小屋があるだけだとか。噂話しか知らないが、相当過酷な環境だったはずだ。
だが、冷静になって、国境警備――特に北部や南部――は先住民のノリンやスクルドに警備をさせた方が、効率がいいとされているのを思い出した。
彼らは自分の土地に誇りを持っているから、絶対に守り通す。畢竟(つまり)、どんなに過酷な任地だろうと下手なことでは離れたりしない。実態は態の良い左遷であり、差別であるが。
これだから養子のアルファードはノリンに馴染めなかったのだ。迫害されているのに、その状況に甘んずる人間たちの思考が分からない。目の前で思い出に浸っているらしい弟はそんな思考の権化のようなものだ。
「そんなところに?」
「そう。司令部でね、問題が起きたものだから」
そう言うオンニの表情は分からない。随分と含みのある言い回しに、自然とアルファードの眉も上がる。
「別に、お前だけが悪かったわけじゃないんだろ」
返答はなかった。「中央のエリートさん」に、弱みを見せたくないのかもしれない。あるいは「ノリンの裏切り者」に甘えたくないのか。何れにしろアルファードとオンニの間の、埋めがたい溝が浮き彫りになったことだけは確かだった。
「ところで随分と早起きじゃないか」
気まずくなったからには話題を変えるに限る。――アルファードの処世術である。彼にとって、会話をすることは情報収集の一環であったし、相手を論破する技術の一つでもあった。
「明日の仕込みをしようと思って」
「おや、久々にお前の料理が食えるのか」
それは純粋に喜ばしいことだった。なんでも錬金術は料理から生まれたとかで、幼い頃から台所に立っていた弟は料理上手なのだ。
嫌味でも皮肉でもなんでもなく、純粋に褒めただけなのに、振り返ったオンニの表情は優れない。
「多少味が悪くても、文句言わないでよね」