オンニの疑問にタピオが食って掛かるように短く答えた。今にも俺が知りたいよ、と言い出しかねない不機嫌さに、彼もまた事態を把握していないことを察する。
「他の皆は」
集められた子どもたちの中で、意識がはっきりしている数人にそう問いかける。いずれもタピオに似たり寄ったりな返答で、大人たちは子どもに何も言っていないのだろうことが推測された。
「でも、なんで黙っているんだろう。僕たちが何も知らずに外に出たら大変だろうに」
「そんなん、寝かせときゃいう必要もねえだろ」
「僕らみたいに起きた子どもは?」
「それは」
タピオはそれきり黙り込んでしまった。やがて、周囲の喧騒に消え入りそうな声で、出ていこうなんて思わねえよ、と呟いた。
「え?」
「こういうのはシャクだがよ。ここで待ってるってのが、賢い選択なんじゃねえの」
そういうタピオの表情は苦り切っていた。いつもは軍人なんかに従ってたまるか! と気炎を上げるような奴だから、「賢い選択」をしたタピオが意外で、思わず顔をまじまじと見つめてしまう。
「なんだよ」
「君、何か悪いものでも食べたかい?」
「馬鹿にしてんのか」
二人のやり取りに、起きている子どもたちからくすくすとささやかな笑い声が上がる。普段のタピオならここで何笑ってんだ! と怒り出すところだろうが、今に限ってはそれもなかった。本当に悪いものでも食べたか、頭でも打ったんじゃなかろうか。
本気でオンニがそんな心配をし始めたところで、タピオは言いづらいことを言い出す調子で少し何かを言い淀んでから、漸う口を開いた。
「俺、見たんだ」
重々しいタピオの告白に、その場で起きていた子どもたちは何か内緒話でもするかのように、一斉に額を寄せ合った。つられてタピオの声も潜められていく。
「武装した軍人が駆けていくの。やつら、でけえ銃担いでた」
「なんでそんな。いつも通りの抜き打ち監査じゃないのかい」
村は常々、軍に見張られていた。村には軍が空船を造るための貴重な資源が埋まっているからだし、それを理由に村が軍に逆らわないようにするための措置だった。この一連の流れを学校で解説して見せたときの、父の苦りきった顔が忘れられない。
ともかく、その「措置」の一環が「抜き打ち監査」だった。何の前触れもなく軍人がやってきて、村人が軍に不都合なことをしていないかを調べて帰っていく。たったそれだけだし、うまくすれば一日もかからない監査だが、軍人がいる間は気の休まる暇がないからオンニは監査が嫌いだった。
「それは先週にあっただろ。……寝ぼけてんのか」
「わかってるよ」
タピオの口調は半ばなじるようだ。それにオンニは、いい加減に現実逃避はやめたほうがいいのかもしれない、と俯く。タピオさえ現状の不味さを解る。いわんやオンニをや――。父の教えを知って、村人皆がクローヴルの歪みを知る。自分たちの立場の悪さを自覚する。ああ、なんて軍からすれば面白くない循環だろうか。
学校は一週間前の抜き打ち監査の時、既に軍から目の敵にされていたに違いない。少なくとも一週間は猶予があったのだから(北方司令部との距離を考えると、実際の猶予は長くて五日がいいところだろうが)、学校の閉鎖なりなんなり、軍から妥協点を示されていた筈である。だが、きっと両親はそれに屈しなかったのだろう。
おそらくそうして今がある。
そこまで考えて、オンニはざっと血の気の引く音を聞いた。慌てて集会所の中を見回す。その時、オンニは血の気が引くのと心臓が止まるのは別々の瞬間であることを初めて知った。
「父さんと母さんがいない」
当然だ。学校は村の共有物とはいえ、そこで教鞭をとっていたのは父一人だ。母がいないのは――まさかそれに追従したのだろうか。
「父さんと母さんは」
偶然傍を通りかかった医者のハンキを捕まえて問う。捕まったハンキは質問の中身に、あからさまに目を泳がせた。やっぱり軍は両親が狙いだったのかと確信している場合ではなかった。
「どこ。ねえ、どこにいるの」
オンニの追撃に、ハンキは目を合わせずにあー、えー、と意味をなさない音を漏らすだけだった。オンニにはそれが自分にとって都合のいい嘘を組み立てているようにしか見えない。例えハンキの組み立てた嘘がオンニの心を傷つけないためのものだとしても、今はそんなもの受け取れなかった。
しどろもどろなハンキを突き飛ばして、集会所の出入り口へと向かう。背後で僅かにどよめく声が聞こえたが、今のオンニには関係がない。
あと少しで出入り口、というところで、力強い腕に阻まれる。猟師のアーツだった。
「離してよ!」
「だめだ。お前はここで待ってるんだ」
「なんで!」
「何でもだ」
アーツはそのままオンニを体ごと持ち上げて、元いた場所へ運んでいく。ハンキの態度といい、まるで村人全員が結託してオンニをここから外へ出さないようにしているようである。異常だった。いまだかつて子供一人に村人たちがここまで結託したことがあっただろうか?
その異常性に、外にいるだろう両親の安否が余計に不安になる。まるで村人たちがオンニに目隠しをしているようだ。いったい何を隠している? ――最悪の事態を、だろうか。そこまで考えてぞっとした。
オンニは、アーツに下された一瞬の隙をついて、集会所の外へと駈け出した。自分一人が出しゃばったところで「最悪の事態」を回避できるとは微塵も思っていなかった。それでも集会所の中で、頭を抱えて震えているだけなのは御免だ。
集会所の目の前にある中央広場は、灰色のコートを纏った軍人で囲われていた。
集会所から飛び出したオンニに、軍人たちはともかく、見届け人であるらしい長老や軍人の輪の外側で羽交い絞めにされている父親、そして軍人の輪の中央で地面に座り込んでいる母親は同時に振り向いた。そしてオンニをみるなり顔を真っ青にした。
「何をしに来た!」
皆一様に顔を真っ青にしたが、母だけは違った。すぐに顔を真っ赤にして立ち上がりかける。軍人のうち一人の銃口がオンニへ向いたことで、すぐに地面に座りなおしたが。
「最悪の事態」は、少し外れた形で当たっていた。
軍人たちから銃口を向けられているのは父ではなく母だった。だがその事実はオンニの心を軽くしたりはしない。あれは「見せしめ」だ。直感がそう叫ぶ。
「母さん!」
母の方へと駆けて行こうとした体は、軍人の腕に絡めとられた。抗ってもがいてみてもその腕は外れなかった。それどころか、よく見ておけと言わんばかりにオンニの体をその場に縫い付ける。
これは「見せしめ」だ。これから死ぬのに、母は毅然とした態度で中央広場に座っていた。その顔にぞっとした。軍には屈しないと、その顔が言っているみたいだった。逃げて母さん、そう言いたいのに、母の決然とした態度に何も言えなくなる。
軍人に羽交い絞めにされた父がなにか叫んでいる。逃げろ、セラフィマ。そう言える父は強い。
そんな父に向かって母が笑いかけた。母が何か言った気がするが、この距離じゃ聞き取れない。オンニも父のように逃げようと、そう言いたいのに。体が動かない、声が出ない。
母がこちらを向いた。その顔に浮かぶ穏やかな笑みに、どうしてか心臓を握りつぶされそうになる。
そして――銃声。母を取り囲むたくさんの銃声。
綺麗なままの母が、力なく倒れていくのを、ただただ眺めていることしかできなかった。
羽交い絞めから解かれた父が、ぐったりとした母に駆け寄って、その体を抱きしめている。
「母さん……?」
呼んだ声は掠れていた。オンニも拘束から解かれて、地べたに放り出されていた。
全てが劇の中の出来事のようだった。母は眠らされただけで、呼べばすぐ起きそうだ。ああ、もしかしたらキスが必要なのかもしれない。おとぎ話みたいに。そんな気さえした。けれど、起こしに行くにはあまりに遠い。体が他人のものになってしまったかのように、動かない。
オンニはその場にへたり込んだまま動けなかった。地面は相変わらず冷たかった。悲しさと、後からやってきた恐怖とで、体ががたがた震えていた。こんなとき、よくがんばったわね。そう褒めてくれるはずの母は父の腕の中で動かない。知らずのうちに涙が零れてくるようだった。
泣きたいときは思いっきり泣きなさい。そんな母の言葉が蘇る。けれどそれを言う筈の母さんは、動かない。
母が寝ていると思い込むには、さっきの音があまりに衝撃的過ぎた。だってあれは銃の音だ。銃は命を屠る道具だ。
オンニが七歳になって、まだ間もない春のことだった。