Novel

ある北国の物語改_二章 刹那2上 フィリクス・オンニ・S・ノリネン

 オンニの父は、スコーリン村唯一の学校の教師だった。嘘か真かは知らないが、かの学術国家フォルトブルグに留学したことがあるらしい。お陰でオンニは博識な父の下、正当で幅広い知識を得ることが出来た。
 学校の教師も父一人で(なにせ他人に教えられるほど博学なのがオンニの父だけなのだ)、それを支えていたのがオンニの母だった。彼女は激情家だったが、その分情に溢れた人だった。そして何より敬虔な女神信者だった。
 だから村人からもとても好かれていたし、そのために村人皆が「フォルトブルグ帰りの」父の教えを聞きにくる。学校とはいっても、そこは子どもたちだけのものではなくて、村人みんなの財産だった。だから大人も子どもも父の教えを請いに来るのだ。
 そんなある日のことだった。
「ねえ、父さん」
 オンニと父は、授業が終わった学校の後掃除をしていた。これは二人の日課のようなものだった。母は家で夕食の支度をしている頃合いだ。あれほど人でにぎわっていた教室が、今はがらんどうの木箱みたいになっていて、叫べば声が吸い込まれそうなぐらい物寂しい。
 それでもオンニにとっては、父という偉大な先生につきっきりで面倒を見てもらえる貴重な時間なので(家に帰ったら家族の時間だ)、友達と遊ぶくらい重要なひと時だった。
「今日、権利の勉強をしたでしょう」
「ああ、そうだな」
 父の返事は硬かった。まるで、来るべきときが来た、と身を強張らせているようだ。オンニはそんな父の態度に気づかぬふりをして、続けた。
「人は、生まれたときからある程度の権利を持っているんでしょ」返事はなかった。オンニ自身、確認するように言ったのだから、父の反応がなくても気にならない。
「だったら、どうして僕らは村の外で暮らしてはいけないの」
「お前は村の外で暮らしたいのかい?」
 父の質問返しに、オンニは首を振った。村の外で暮らしたいと、強く望んでいるわけではない。ただの好奇心だった。それにそんなことをもし母の前で口に出してもみろ。考えるだけで恐ろしい。
「此(こ)は寒く厳しき処(ところ)なり。しかして皆で暖まるべし。此(こ)は神の地、世の果てぞ――だからとってもいいところなんだよ」
 誤魔化すように遺跡の聖句を歌い上げると、父が苦笑する声がした。
「そうだね。さすがセラフィマの息子だ」
 そして父はふ、ふ、ふ、と低い声で笑う。本心からの笑いではないのに、人を嫌な気持にさせないのが父の不思議なところだった。もしかするとオンニではなくて母のことを笑っているからかもしれない。やがて父の大きな手がオンニの頭に触れた。いつの間にか父は掃除する手を止めていて、オンニと視線を合わせるようにしゃがみこんでいた。
「オンニ、ここじゃないどこか。……そうだね、どこか別の国に住めるとしたら、どこに住みたい?」
 父の質問の意図が分からず、言葉に詰まった。目の前にある父のまっすぐな瞳が、オンニの中の何かを図っているみたいだ。そのせいで、軽々しくフォルトブルグと答えることができない。
 オンニは勉強がしたかった。勉強をして、偉い仕事に就きたい訳ではない。そも、彼の将来の夢は新聞記者だった。けれど、それを差し引いても勉強がしたい。オンニは自分がこの村で一番頭がいいことを自覚していた。だからそれを研鑽したかった。そのために父と同じように学術国家フォルトブルグに行くというのは妥当なことに思えたのだ。
 けれどよくよく考えてみると、フォルトブルグに行くということは、この村を離れるということなのだ。きっとそれは友人たちと離れるということだ。
 オンニは窓から村を一瞥した。集会所を中心に、歪なうずまきを作るように家がぽつぽつ建っている。この景色とも、厳しく凍てつく冬とも離れるということまで考えて、視線を父に戻した。
「出来るなら、この村から離れたくないや。村からフォルトブルグに通えるなら考えるけど」
「そうか」
 父は何か安堵したように息を吐いて、何を思ったか思い切りオンニを抱き寄せた。突然のことに体勢を崩したオンニは為されるがまま、父に寄りかかっていた。父が何かに震えていたのは、気づかないふりをして。
 

 軍が村に乗り込んできたのは、それから三日と経つか経たないかの頃だった。真夜中に叩き起こされたせいで、日付は判然としない。そうして家族そろって集会所に行くと、もう村人のほとんどは揃っていた。
 村長が陣頭指揮を執っている。オンニの寝ぼけた頭には、何か大変なことが起こっているらしいという程度しか認識されていなかった。
「吹雪でも来るの?」
 先に来ていた友人のタピオによろよろと近寄って、訊く。この村は年に一度巨大な吹雪が襲来する。そういう時は家々に囲まれた集会所に、こうして村人たちが避難してくるのが常だった。だから今回もそうではないかと錯覚したのだ。
「おい寝ぼけてるのか。今は吹雪の季節じゃないだろ」
「えー? ああ、そうか」
 タピオに指摘されて、誤解を自覚する。大人たちがどたばた駆け回る音のおかげで、だんだんと目が冴えてきた。確かに今は豊穣期、吹雪のある厳寒期がようやく過ぎ去ったという頃合いだ。
「じゃあなんでこんなに」
「軍人が来たって」