――もう大丈夫だろうか。
ふらふらと廊下を行った二人組を見送って、アイボリーの髪の軍人、アルファードは内心呟いた。
だが、港で倒れた彼女は、この国では歓迎されない異邦人である。近くを通り過ぎた下士官に、彼らの病院内での監視を言いつけた。自分が四六時中一緒にいても不自然だろうし、アルファードにはこれから仕事があった。
向かう場所はこの軍属病院から遠かった。
クローヴル国軍、東方司令部。
東方司令部は隣街のソレーンにある。隣街といっても、角鹿の牽くそりでなければ、歩いて二時間かかる。
そこは白煉瓦でできた建物だ。だが、ただ白いだけでなく、よくよく見れば長年泥や塵芥にさらされたせいで、うっすらと灰色がかっている。その建物の手前にある黒い門。それは閉じていて、尚且つ門番が立っていた。彼は近づいてきたアルファードの階級章をすばやく確認して、アルファードに敬礼をし、門を開けた。
廊下ですれ違う人々に、髪色が珍しいからとちらちらと窺われる。いつものことだった。 首都勤務のアルファードが東方司令部に訪れたのは、一時帰宅という名目の上である。だが、それ以上に重い任務が彼の肩にのしかかっているようで、思わずため息を零した。
司令部の最上階の最奥手前にその部屋はある。「参謀室」と書かれたその上に、手書きで「指令室」と書き直された紙が貼ってある。
中の人物と相対することに少しだけ覚悟を決めて、アルファードはドアをノックした。
「アルファード・ソロモノヴィチ・ノリネン少佐であります」
「入れ」
「失礼――」
アルファードの言葉は飛んできたナイフによって遮られた。 それは頭の紙一重で小気味いい音を立て、ドアに突き刺さった。よくよく見れば、ドアの裏側にはダーツの的を模した張り紙がされてあった。
アルファードはそれを見て僅かに息を呑んだ。
「体は鈍っていないようだな」
部屋の主、アニーシヤ・コーネヴァ大佐は言った。ポニーテイルにした波打つ赤い髪が肩に垂れて、豪奢な雰囲気を醸し出して、灰色の部屋に映えている。彼女は顎のあたりで手を組み、青い目を細めて、愉快そうな表情を浮かべていた。 アルファードの知る限り、彼女が窓を背にナイフを弄ぶのは相変わらずのようだ。
「あなたこそこの遊び――っていうんですか。酷くなってません?」
ドアに貼り付けられた的を振り返りながら、アルファードは言った。
どうして的があるんです、そして的が人型なのはどうしてです。そんなアルファードの問いに、アニーシヤは笑うだけで答えない。
「本当に刺さったらどうするんです」
非難がましい後輩の声に、アニーシヤは加虐趣味めいた笑みを浮かべた。
「大丈夫だ。ちゃんとコントロールはしている。刺したりはしないよ」
「そう言う問題じゃないでしょう」
ため息混じりの声で、アルファードは言った。この「ナイフ投げ」に、口出しするだけ無駄なのは、東方司令部の暗黙の了解であった。「ナイフ投げ」はアニーシヤの趣味なのだ。無論、元東方司令部所属のアルファードも、それは理解していることである。
ため息をついて、話題を切り上げる。
「ええと、中央の動向についてですが」