Novel

幕間 アルファード・ノリネン

 時間は少し遡る。黒猫亭で祝宴が開かれた日の昼。アルファードが、トッドに諸々の許可を伝える前の事である。
「ノリネン少佐」
 呼びかけられて、アルファードは顔を顰めた。聞こえた声が、彼と本質的に反りの合わないものであったから。
「いやあ、ノリネン少佐、お忙しいようでなにより。ご機嫌麗しゅう」
「ライマル少尉」  ライマル少尉はアルファードの元同僚にあたる、いわゆる「器の小さい」男だった。どうも出世できないことに関して「エリート」アルファードを逆恨みしているらしかった。人づてに聞いた話だから、真実はわからないが。
「何でしょうか」
 「元」はとはいえ、同僚に媚びられるのは気分のいいものではない。早々にライマルとの会話を打ち切りたくて、話を急かす。ライマルはにやにやと人の悪い笑みを浮かべながら、いやに鼻につくようなしゃべり方で、言った。
「一月(ひとつき)も雑用を押し付けられるとは、難儀なことですなぁ。 いやいや、私などには想像もできないことですよ。北方視察ですってねぇ。……せいぜい頑張って、あとの人々に貢献してくださいね」
 言い終わると、ライマルはケケケッと笑った。アルファードは信じられない言葉を耳にしたような気がして、どういうことかと問いかける。
「別に難しいことは言っておらんでしょう。私が言ったのは、あんたが北方視察に行くということですよ?」
 ライマルの言葉通り、ここ一年アルファードは雑務ばかり押し付けられていた。毎日が単身赴任の日常と、どちらがいいかと言われれば返答に困る。それでも慣れた土地に落ち着けるという安心があったし、アルファードがこなす雑務は機密に触れるものが多かったから仕方ない。
 だからといって、北方視察の仕事が欲しかったわけでもない。
 無断でこんなことができるのは、ここ東方司令部には二人しかいない。いや、事実上一人だけだ。
 ――アニーシヤ・コーネヴァ大佐である。
 それに気付いたなら、動くだけだ。
「ちょっと、おい?」
 横で騒ぐライマルを無視して、アルファードは早々に報告書を片付けた。そして、大佐室へ向かった。
 この一年、アニーシヤがなんだかんだとアルファードに雑事を言い付け、東方司令部に拘束していた理由が垣間見えた気がした。彼女は機を狙っていたのだ。
 けれど認めたくはなかった。アルファードはアニーシヤの手先であるが、ただ命令を聞いて動くだけの駒ではない。
 大佐室へたどり着くと、アルファードはノックも無しにドアを開け、部屋の主を呼んだ。ただ慌てていたせいで、ついうっかり敬称が抜けた。
「アニーシヤ、いるかい? 訊き――」
 ドアを開けた途端、アルファードのすぐ横をナイフが駆け抜け、彼の頬に薄い切れ込みを作った。
「お前は軍学校時代に何を習った? あと、私は今虫の居所が悪い」
 そう言って、アニーシヤは引き出しから出した二本目のナイフを見せびらかす。きちんと手入れがなされているのだろう。顔のすぐそばに刺さったナイフは、白銀の冷たいきらめきを放っている。
 ここにきて、アルファードは己の迂闊さと、間の悪さを呪った。常日頃から「ちゃんとコントロールしている」と公言するだけあって、アニーシヤの投擲は精確だ。次に粗相をすれば本気で当てに来るだろう。アルファードは咄嗟に居住まいを正した。
「……失礼しました」
「それで、急ぎの用なのか」
 そう言うアニーシヤは、確かに苛立っているようだ。腹立たしげに中指の腹で何度も机のふちを叩いている。何か鬱憤が溜まったときのアニーシヤの癖だ。
「ええ! 僕が北方視察に行くというのは確かなことですか」
「ああ、それか。そうだ、確かに向こうにはそう伝えてある。まあ、そういうことだから行ってこい」
 アニーシヤはそうおざなりに答えて、俯いた。
「ですが――」
 反論しようとした言葉は、飛んできた二本目のナイフに封じられる。それは首筋を掠めて、ドアに刺さった。背筋が凍るとはこのことだ。
「お前の気持ちも、分からんでもない。だが、話を聞く限り――貴様の弟と真っ当に話せるのはお前だけだ」
 アニーシヤは机を叩くのをやめて、ぐっと掌を握りしめた。噴出しそうな怒りを堪えている相図だ。
 彼女の言葉に、アルファードはぐっと押し黙って、俯いた。アニーシヤはそれを承諾と取ったのだろう、地を這うような声で「頼んだぞ」と念を押された。
 身の内の怒りを放出するようにため息を吐いてから、アニーシヤは言った。
「ところで、スコーリンへの許可の事だが」
 その言葉に、アルファードはのろのろと頭を持ち上げた。俯いたままでは、今度怒りのままに短剣が飛んできた際、避けられない。視界に映ったアニーシヤは、憔悴したように俯いていた。憔悴しているように見えるのは見た目だけで、実際は苛立ちを持て余している状態だ。
「珍しいな、お前が打算もなしに話を承(う)けるなんて」
「違います。彼らの船は僕らの利になりますからね」
 感情を押し殺した声で、アルファードは答えた。らしくない、と自ら内心で呟いて、感情の揺らぎを落ち着かせる。
 アニーシヤはそうか、と答えたきり、この話題からは興味を失ったようだ。そしてまた苛立ったように再び机を指で叩き始める。
「何があったんです?」
「大工廠(だいこうしょう)の件だ。モントレビーの」
 短く答えて、アニーシヤは額に手をついた。ソレーンの隣街モントレビーには、大工廠――大規模な軍事工場を建設する計画が存在していた。幸いにしてモントレビーは職人の多い街である。国が街ごと買い上げて住民を雇いあげれば、上質な武器供給源になるに違いなかった。
 ――まだ住民には明らかにされていないことだが、そうなるのも時間の問題だろうと思う。国は隣国との国境戦争にいい加減けりをつけたいのだ。
 脳裏に一瞬黒猫亭の幻が揺らいで消えた。何故かその隣町に住む伯母や、里子たちをひどく裏切ったような気持ちになるのはなぜだろう。
 心の髄まで軍に染まりきった自覚のあるアルファードは、大工廠を建てることが正しいのか否かの結論が出せなかった。いや、軍人の立場からすれば正しいに違いない。それでも反発してしまうこの心の動きは何だろう。
 返答のないアルファードに見切りをつけたのか、アニーシヤが続きを語り始める。
「この計画を潰せれば、クローヴルは向こうとの戦争を先延ばしにせざるを得ないだろう」
「確かに、そうですね」
 悔しそうなアニーシヤとは対照的に、アルファードは思案した。果たして、それを妨害するだけで戦争を止められるだろうか。ただの先延ばしにはなりはしないだろうか。
 ――こんなくだらない戦争、続ける意味なんてあるのか?
 軍学校時代に彼女が吐き捨てた言葉だ。アニーシヤは兄二人と父親を戦争で喪っている。だからこそ、戦争とそれを起こすこの国を憎んでいた。
 随分と私怨に駆られているようだ。だからと言って、アルファードはアニーシヤを止める言葉を持ち合わせていなかった。アルファードが止めないから、大佐は言葉を続ける。
「官僚たちは決着をつけるつもりだよ」
 アニーシヤの言葉に、アルファードはわずかに目を瞠った。知ってはいたが、アニーシヤの背景事情をかんがみて、彼女に報告したことはなかった。いくらクローヴルが都市国家の集合体のようなものとはいえ、腐っても(実際に中央は腐敗してしまっているが)、アルファードは中央の軍人である。アルファードの直属上司はアニーシヤではなく、中央の将校だ。
 けれど彼女はアルファードがもたらす周辺情報だけで推測してしまったらしい。あるいは中央にアルファード以外の間諜がいるのか。
 だとすると、アルファードはどうすればいいのだろう。
 クローヴルの西部は軍都として成り立っている。今までの領土戦争だって西部の武器工場だけで足りていたのに。いや、だからこそお互いに痛み分けの結果しか生まなかったのだ。
 けりをつけるつもりなら、なるほど、今まで以上の力がいるだろう。
「ここ一ヶ月中央と掛け合ったんだが、あの腐れ官僚どもめ。モントレビーの造船所は『接収して大工廠に作り直す』だと。それがこの国にとってよりよい形なんだそうだ。とりつく島もなかったよ」
 アルファードが東方司令部に拘束されていた、四月十八日から翌年五月十九日までのおよそ一ヶ月の間、東方司令部と中央司令部とで頻繁に連絡を取り合っていた記録がある。  アルファードは内心でああ、なるほど。と息を吐いた。アニーシヤ自ら動いたのなら、おのずとアニーシヤと自分の関係も割れるだろう。心の中で上司に謝罪して、アニーシヤにつくことを決めた。
 どうせ反逆罪で処分されるなら、腐敗した中央と心中するより、革命家かなにかとして処分されるほうが遥かにましだと思えていた。
「無駄、ですか」
 アルファードの反芻するような声に、アニーシヤはため息で答えた。
「ああ。例の件の用意はできている。これが駄目だったとすれば、強硬手段に出るしかあるまい」
 例の件、とは昨年から示されている北部への献金のことだろう。大工廠計画が潰せないから、搦め手で行くのだ。
「はあ」
 アルファードにはどう答えればいいのかわからなくなっていた。上の空なアルファードを見かねたのか、アニーシヤはだから、と面倒くさそうに切り出した。
「お前が北で便宜を図る、そうして北方司令部の協力を得られれば、巡り巡って万事うまく運ぶ」
「そういうもんですかね」
「そういうもんさ」
 アニーシヤは愉快げな表情でそう言い切ると、打って変わって厳かな調子で告げた。
「アルファード・ソローモノヴィチ・ノリネン少佐」
 その言葉が合図だと察して、アルファードは弾かれたように姿勢を正す。
「お前に、北方司令部視察の任を言い渡す。……しっかりやれよ」
「は!」