Novel

継目3 トッド・ノルドハイム

「まったく、金がないでどうやって船を完成させるっていうんだ」
 作業する手を休めて、そう口に不満を口にのぼせたのはトーボーグだった。工房の反対側でそれを聞いたトッドは、表情をひきつらせた。別に自分に非がないのは分かっているが、今にもトーボーグが自分に当たり散らしてきそうで怖い。
 作業を手伝ってくれているミーナが、気にすんなよ、と笑った。
「元々トーボーグは悪態の多い奴じゃないの」
「それはそうなんだが……。それは相手がいないからって言うのもあったと思うんだ」
 だから怖い、と言うと、ミーナは意味深に目を細めた。
「……なんか考えてみると陰湿」
「確かに」
 そうやってどちらともなく吹き出した。
 作業中と言っても、船はもうほとんど完成しているから実際に作業している職人は少ない。だから作業監督のはずのキールピは、早々に事務室へ長い休憩を取りに行ってしまった。
 会話も途絶え、暇な時間がどれぐらい流れた頃だろうか。納期が立ち消えたせいで弛んだ心には、ずいぶん長く感じられた。それでも実際の時間は二時間も経っていないと思う。
 不意に事務室のキールピが慌てた声を上げたかと思うと、事務室へつながるドアからナージャが姿を現した。続いて、彼女を追いかけてきたらしいシードル。ついでに二人の後ろから、キールピ。
「どうしたんだよ」
 飛びついてきたナージャに、驚いて声をかけた。その声に顔を持ち上げたナージャは、どこか涙目だ。
「サイが、サイがぁあ!」
 ナージャはそう叫ぶなり泣き崩れた。一体何がどうなっているのか分からない。追いついてきたシードルが、何やら難しげな表情で事の仔細を説明してくれた。
 ――つまりは、またサイがやらかしてくれたらしい。
 事態を総括するとそうなる。
 ひくり、と米神に青筋が浮かぶのを自覚する。それと同時に頭が痛くなってくるのは気のせいだろうか。
「わかった、わかった。サイには俺から言っておくから」
 とにかく事態を収束させるためにそう言うと、ナージャは涙顔をぱあっと輝かせた。
「ほんとに!」
「ああ、約束だ」
 笑顔になったナージャの髪をくしゃくしゃと混ぜる。やめてよ、とすぐに反発の声が上がった。
 手を止めると、不意になんだか忘れていたことがあるような気がしてきて、それは一度思い始めるとむくむくと膨れ上がる。サイ、ナージャ、黒猫亭……。
「あ」
 点と点が線でつながって、頭の中で明確な形を作ったようだった。もっとわかりやすく言えば、靄が消えた、と言えばいいだろうか。とにかく思い出した。
「なんだ、トッド」
 さっき口から漏れた声は、思いの外大きな音だったらしい。すぐ傍で何事かと驚いたと表情をしているミーナはともかく、離れたところで作業をしていたトーボーグにまで聞こえていたらしい。
 彼は作業の手を止めてこちらに来ると(作業そのものはナージャが来た時に中断していたのかもしれないが)、訝しげな声を出した。
「いや、言い忘れていたことがあったなあ、と」
 そうしてトッドは忘れていたこと――飛空石を鳥に行ける可能性があることを、この場にいる全員に語った。
 当時その場にいたナージャやシードルはともかく、職人たちは表情を一変させた。ミーナは嬉しさからか頬を真っ赤にし、トーボーグは何やらわなわなと震えていて、キールピは呆然としていた。
「それは、本当か」
 茫然としたまま、キールピが言った。
 まさか冗談じゃないだろうね、感情を声に込めず、震えた声で問うその態度は、どうも事実を受け止めきれていないらしかった。当然だと思う。トッドだってもし逆の立場だったら同じ質問をしていただろう。
「本当だよ!」
 当時居合わせたナージャの証言は、職人たちの時を止める魔法のようだった。
 そのくらい、彼らは息を詰めて、じっと真偽を考え込んでいた。
「いつ頃だ」おもむろに、トーボーグが口を開いた。
「向こうから、返事が来るのは」
 その言葉に、トッドは自分の顔が歪むのを感じた。痛いところを突かれた。まさにそんな状況。
「それがなあ、『話を通す』とは言っていたんだが、その結果がいつ帰ってくるかは……」
 尻すぼみになっていくトッドの言葉を聞いて、トーボーグの表情が胡乱げにしかめられていく。そんな顔が証人のナージャとシードルの方へ向いた。二人は無言でこくこくと首を縦に振る。それが余計にトーボーグの怒りに油を注いだようだった。
「なぜ確約しなかった」
「軍人相手に、『話を通す』って言わせただけでも称賛もんだろ!」
 トーボーグは舌打ちをして、眉間に深く皺を刻んだまま、今度はミーナとキールピの方へ向く。
「ちょっと、なんでこっち向くのさあ!」
「うるっさい!」
「元凶はトッドだろうが!」
 そのまま三人はぎゃあぎゃあ言いながら口論を始めた。それは諸悪の根源たるサイが、なぜか怒りの形相で駆けこんでくるまで続いたのだった。
「ねえ、トッド」
「ん?」
「早く、行けるといいね、北」
 そう言うナージャの表情は、どこか強張っていた。低い位置にある頭をポンポンと叩いて、そうだな、と頷く。
 ――そうして、返事のないまま一年が過ぎた。