Novel

二章 5

「つまり――つまり、船は全部自分たちのお金で作れ、あるいは戦争の為の船を作れ。さもなければ、死ねって。そういうこと?」
 思考をまとめるためにも、三人が語った事柄の総括を口に出した。さっき胃の腑が冷えたばかりだというのに、頭は異様なほど冷め切っていた。いかにも軍人が考えそうなことだと思った。
 ナージャとシードルはそれに対して反応らしい反応を示さず、ただ沈痛な表情をしているだけだ。マールファが、静かにそうね、と同意を示したのは果たして救いだったんだろうか。
 これだから子供は困る。サイは自分のことを棚にあげてそう思った。いちいち悲しいことに反応するから、見ていられない。
 サイは膝の上で拳を握りしめた。飛空石の占有だって、造船所を困らせるためじゃない。そもそも戦争のため、人を殺すためだろう。
 そこまで考えて、はっとした。
 もしかすると、軍は知っていたんじゃないだろうか。サイが青皮造船所へ依頼金を支払いに来ることを。そんなわけない、という正論と、もしかしたら、という推測が身の内でせめぎ合う。いや、アルファード少佐はマールファの甥だったじゃないか。
 ――もし本当に「そう」だとしたならば、それはなんて外道なんだろう! あれは母さんの遺産だったのに。
 音がなるくらいに歯を食いしばっても、怒りが収まる気配がない。けれども振り上げた拳は、行き先を見失っていた。自分は一体どこに当たればいい。東方司令部か。それとも――。
「ちょっと、サイ!」
 ナージャに肩を叩かれた。いつの間にか俯いていたようだった。
「怒るの、分かる。けどそれ、みんな一緒」
「みんな、一緒……」
 ナージャの言葉を反駁する。みんな、そう思っているのよ。そう言いたいのだろう。自分が咄嗟に思ったこの怒りを、トッドは、あの造船所の人々は、いつも思っているのだ、と。
「だったら、なんだって言うの」
 平坦な声が口から滑り出して、その場に漂った。違う、自分は悪くない。心が叫んでいた。
 軍人が何でも好き勝手にするせいでの苦しみというのは、理解できる。サイの故郷イシューも、少し前はそうだった。軍人がのさばって、賄賂や理不尽が横行していた。今はそんな軍人すらいない荒廃した場所と成り果てたが。
「軍人が好き勝手するのなんて、どこもそうじゃない」
 だから、どうして殊更クローヴルの人々が苦しいのかが理解できない。確かに軍の行いは外道だ。でもトランクを奪われたのは、全面的にサイが悪いわけじゃない。治安を悪くさせた、軍が悪い。
 ――そう、全て、軍が悪い。
「そんなことで非難される謂れはないわ」  サイが言い切った瞬間、ナージャが顔を歪めた。そして、陸に上がった魚のように、口をはくはくさせた。言いたいことが言葉にならないようだった。やがてナージャは口を閉じて俯いた。 「サイのばか」
 小さな、呟くような声だった。
「ばかサイ!」
 ナージャは再び言って、黒猫亭を飛び出した。消えた背中に向かって、シードルが彼女の名前を呼ぶ。彼は行くべきかどうかを迷っているようだった開けっ放しのドアと、サイとの間で視線を彷徨わせていた。やがて意を決したのか、シードルもナージャを追って黒猫亭を飛び出していく。 「あなたは行かないの」
 マールファに問いかける。彼女は無言で首を横に振った。
「私よりも、あなたが行くべきだと思うけど」
 マールファはそれだけ言って、テーブルの上に取り残された茶会の後を片付けに行った。
 少し考えて、サイはマールファを手伝うことにした。手伝うと言っても、食器を運ぶ程度の仕事しかない。
「ありがとう、サイ」
 こんなとき、どんな返事すれば良いのかがわからなくて、ただ首をすくめる。
「造船所に行ってみれば?」
 少ない食器を洗いながら、マールファは言った。これは、「二人を追いかけた方がいい」と暗に言っているのだろうか。彼女は事実を告げただけかもしれないが、いずれにせよ、サイは自分の納得が行かない事はしたくなかった。
「このお店、人が少ないのね」
 ――だから話を逸らすことにした。サイのその行為に、マールファは、小さく落胆したようなため息をついた。もしかすると、食器の擦れる音が聞かせた幻聴だったかもしれない。いずれにせよ、マールファの表情を見る限り、サイが何らかの不味い対応をしてしまったのは確かなようだ。
「言っちゃ悪かった?」
「別に、構わないわ」
 ゆっくりと、噛み締めるように、マールファは言う。それを聞き取りやすくするための配慮だと受け取って、サイは質問を重ねた。
「どうして人が少ないの。家で食べる料理と、こういう――」言いながら、ホールの 方へ視線を投げる。
「お店で食べる料理は、違うんでしょ」
 サイの言葉に、マールファはまあねえ、とぼんやりした声で答えた。
「配給、はわかるでしょう」
「行って見てきたわ」
 馬鹿にしてるの?と反問するように言うと、マールファは違うわ、と苦笑する。そして食器を洗う手を休め、真剣な顔つきになって、言った。
「この店も配給で成り立っている。つまり、この店に来るということは、闇市で買い物するのと同じことなのよ。遠回しに言えばね」
 意味分かる? というマールファの確認するような問いかけに、サイは頷くことができなかった。マールファの告げた長い言葉、そしてその小難しい内容に、頭がついていかない。
 辛うじて、「闇市と同じ」は拾うことができたが、この店のどこがどう「闇市と同じ」なのか。マールファは少し考えこんでから、背後の食器棚の横に仕舞われていたメニューを取り出して、サイに手渡した。
「これを見て、どう思う?」
「数字が、多い」
 まず思ったのはそれだ。桁が多い。一番安そうな紅茶ですら、五百ルス。闇市での手紙の値段が二百ルスだったから、およそ二倍である。本来ならば紅茶を飲むのにそこまでの金をかける必要などないはずだ。
「そうよ。だから、人が少ないの。分かった?」
 諭すような声に頷いて、茫然と立ち尽くす。
 ――いろんなものが高くなってる。  ナージャの言葉が蘇る気がした。だったら結局、持ってきた依頼金も無駄に終わったんじゃないか。そう思い始めると、なんだか無性に腹が立って仕方がなかった。
「少し出てくる」
 そう一言告げて、サイは衝動のままに黒猫亭を飛び出した。