翌日、サイはソレーンの街角で立ち尽くしていた。
白煉瓦と赤煉瓦の混じった街並みは、無学のサイでも芸術的だと思える不思議な光景だった。まるで異世界に来てしまったかのような錯覚に、そうだ、ここは母国でないのだと、再認識する。
サイがクローヴルに来て今日で三日目。今日は、手伝いも兼ねてナージャに街に連れ出されていた。
「あっち!」
綱を解かれた犬よろしく駆けていきそうになるナージャを、待ちなさい、とシードルが引き止めた。止めた時の言葉の響きが、どことなく標準クローヴル語と違って聞こえたのは、気のせいだろうか。
兄妹みたいに喧嘩を繰り広げるナージャとシードルを尻目に、サイは煉瓦でできた街を仰ぎ見た。故郷で家を作るときは、大概木を組み合わせて作る。燃えてもすぐに立て直せるからだ。けれどこの国は、わざわざ煉瓦を積み上げて家を作る。
やっぱり寒いからだろうか。整然とした街並みは、まるで一度も戦禍に遭ったことが無いかのように整然としていた。
大国への羨望と、屈辱とで乾燥した唇を噛みしめた。そして行き場を無くした感情は、遣る瀬無さへと変わっていく。
はーっと吐いた息は、まだ白くなかった。
「なにやってんのー?」
少し離れた所で、ナージャが手を振っていた。今行く、と手を振り返して、そちらに駆けた。対して離れていなかったから、すぐについた。
サイが到着すると、わ、とナージャが感嘆したような声を上げた。
「速い!」
ねえ、と話題を振られたシードルも、無言で同調するように頷く。サイは二人にそうかしらね、と首を傾げた。自分の足の速さなんて、大して気にかけたこともなかった。
「サイ、いるなら、配給、早く終わる!」
「そうねえ」
けれど確かに、足の速いらしい自分が配給所に行けば――、とそこまで考えて、配給所の場所がよくわからないことに思い当たった。
「あ、駄目だわ」
まだ無理、と首を横に振ると、ナージャには残念そうな顔を、シードルには呆れたような顔をされた。
とすると、二人に配給所に案内して貰うしかない。
クローヴルは隣国フォルトブルクと、領土戦争を繰り返していた。
戦争をして、困窮する。その窮乏を打破するために再び戦争をする。終わりのない博打依存症のような泥沼に嵌(はま)っていた。クローヴルの困窮を表す制度の一つとして、配給制があげられる。つまり、すべての物品は、国に管理されているのだ。
サイたちが配給所に向かうのは、そういう理由があった。
――ただ。
ふと、ナージャが肩にかける配給袋を眺めながら、サイは思った。国が食べ物を保障してくれることほど、有難いことはないと。
「サイ、どこから来たの?」不意にナージャが話しかけてきて、咄嗟に反応ができなかった。
「……あ、待って、当てる」
後ろ向きに歩きながら、ナージャは思案気にうーん、と唸った。やがてサイの顔を指差して、言った。
「わかった。あなた、龍(ロン)大陸の人!」
だって鼻低いものね、というナージャに邪気はない。あの食堂に着いた当初、トッドがそう言う説明をしたはずだが。忘れたのだろうか。あるいは聞いていなかったのだろうか。
「どう考えてもイシューでしょう、トッドの幼な友達なんだから」
ナージャに指を下ろさせながら、シードルがそう指摘する。その指摘に、ナージャはああ、そうか、と頷いた。だがすぐさま、首を傾げた。
「つまり、龍系のイシュー人?龍大陸、イシュー、あるの?」
「ナージャ、世界にはいろんな出自の人がいるもんです」
諭すようなシードルの言葉に、それもそうね、とナージャはまたも頷いた。自分の知らないところで勝手に展開して、勝手に終息した話題に、しかしサイはあえて口を突っ込まなかった。「龍系のイシュー人」というのも、間違ってなくもないのだ。
「サイ、なんでクローヴル、来たの?」
これは言っていなかっただろうか。記憶を探るも、言った記憶はなかった。単に忘れただけかもしれないが。
「船、作るため」
サイは雲の上に行きたいこと、だから造船士トッドのところへいることを、拙(つたな)い標準クローヴル語で説明した。サイの説明を聞いて、ナージャは感心したように何度も頷いた。さすがはトッド、というようなことも言っていた。なんだか自分がほめられているような気分で、鼻が高い。
ねえ、すごいよね、そういうふうにナージャがシードルに話しかける。シードルもええ、良くそんな遠いところから来ましたね、と言う感じのことを、感嘆したように言っていた。
「まあ、ね」
サイの故郷――イシューは内戦で忙しい。だから、隣国へ出ていくのはまだしも、大陸の違うクローヴルへ来るのは容易いことではない。ナージャはともかく、どうもシードルはその辺りの事情を理解しているらしかった。
こういう時にどう反応すればいいのかわからなくて、笑って誤魔化した。
「こっち!」
ナージャが、広場の人が集う一角を指差した。あの人だかりの向こうにあるのが配給所なのだろう。人があまりにも多いから、まだ随分と先にある配給所に辿り着くには、ずいぶん時間がかかりそうだが。
「どうしたんでしょう」
あまりにも人が多いのを見て、シードルが不思議そうな声を上げた。それに同意するように、ナージャも言った。
「本当、人、多い」
どうしたんだろう、という彼女の声は、シードルと同じように不可解そうだ。
「いつも、違うの?」
サイの問いかけに、ナージャとシードルは二人して、そっくりな金色の頭を頷かせた。
「いつもは、この半分しかいないんです」
シードルは人だかりの方へ視線を遣りながら、言った。視界の端で、ナージャが群衆のうちの一人に話しかけていた。
「あいつ……!」