Novel

1章 11

 サイはしゃがみこんだまま、茫然と職人たちを眺めた。頭にあるのは盗まれたトランク――その中に入れていた依頼金のこと。直前までのごたごたは、速攻で頭の隅に片付けられていた。
 やはり打ち明けるなら所長のキールピだろうか。温和そうだし。だけどそういう人は起こったら怖いというのが相場だ。
 ――怖いといえば。
 サイは長老のヴィーカと話し込むヴァーニャを見た――とはいってもヴィーカが一方的に話しているだけのようだが――あの人はない。見るからに恐そうだ。じゃあ、あの話しまくってるヴィーカはどうだろう。これは相手のペースに乗せられてしまって、言いたいことが言えなくなる可能性が大きい。
 とすると、やはりここはキールピに話したほうがいいのかもしれない。
「どうしたんだ、サイ」
「ん。依頼金のことを、誰に話せば騒ぎは小さくて済むかなって」
「……お前、そんなに頭使ったらまた倒れるぞ」
 失礼な言い分に、サイはトッドを睨み上げた。
 「私だっていつまでも馬鹿正直じゃないわよ。テストの点が悪かったのを、父さんに言うのと、母さんに言うのじゃ、被害が違うでしょ。それと同じ」
「ああ、まあ」
 得意げに笑ってみせると、なんだか可哀想なものを見る目で頷かれる。なんだか馬鹿にされている気がして癇に障った。頭突きしてやろうと立ち上がるも、それは成功しなかった。膝がしびれていた。
「で、誰が被害少なそうだって」
 サイを自分から引き離しながら、トッドが問う。それにサイは先程分析した結果を述べた。
「で、私の結論としては、やっぱりキールピに言うのが一番いいと思うの。所長だしね」
「まあ、言うことなしだな。キールピはあんなんで日和見だし、ヴァーニャは頑固親父、いや爺か。ヴィーカはあの年だからな、話しといてもすぐに忘れちまうだろうよ」
「何か言ったか」
 ヴァーニャの陽気な声が飛んできた。サイとトッドの共通語は標準クローヴル語ではないから、内容は聞き取れないはずだが。トッドの態度で何かわかるのだろうか。
 ヴァーニャに対してトッドが何か声をかけた。やがて本を読んでいたキールピがこちらにやってくる。
 トッドはキールピの顔を見て、一瞬気まずげな表情になった。すぐにそれを取り繕うと、キールピの背中を押して、廊下の奥へと向かう。サイもそれについていった。
「なんだね?」
 読書を邪魔されたせいか、少々不機嫌なキールピに対して、大事な話があるんだ、とトッドは言う。その言葉に、キールピは眉を跳ね上げた。それでも取っ掛かりの言葉が見つからないのか、あー、うー、と唸るトッドを脇へのけて、サイが口を開いた。
「私、失くした、トランク!」
 サイの言葉に、キールピは不可解そうな顔になった。それを見て、トッドがサイを押しのけて、詳しい説明を始めた。
 それが終わっても、キールピの不可解そうな表情は解けなかった。ややあって、その顔は渋面に変わる。サイの方へ確認するような視線を向けた。
「本当かね」
「ええ」
 キールピの問いかけに、しっかりと頷いた。この件に関して、誤魔化しは許されない。サイの頷きを受け止めて、キールピが足をふらつかせる。そのまま壁にぶつかって、額に手を当てる。呻くように声を上げていたが、くぐもっていて聞き取れない。聞き取れたとして、彼の言葉の意味は理解できなかったろうが。
「ごめんなさい。――私の過失だわ」
 謝罪の後の言葉は、標準クローヴル語にすることが出来なかった。己の母国語で告げたそれは、トッドによって通訳される。だが、どうにもトッドはその言葉に納得していない様子だった。
 そのまま、キールピとトッドが今後のことについて、短く議論し始めた。サイはその中には入れず、ただ外側から眺めることしかできない。
 結局職人たちにはキールピから伝えるということで纏まった。ただ、頼りにしていたサイからの依頼金がないため、今後の目処が立たないという。
「その件に関しては、本当」
「うだうだ言うな。終わったことをグチグチ言ってもしょうがねえだろうが」
「そうね」
 黒猫亭に向かう最中の会話だった。ナージャは一緒ではなかった。もう少し青皮造船所で遊んでいくのだそうだ。
「金に関しちゃあ、同業者から借りるなり、なんなり、調達法はいくらでもあるが……。飛空石がなあ」
「さっきも思ったけど、何が問題なの?」
 サイの質問に、トッドは立ち止って、フードに隠れた額に手を当てた。隙間からあー、うー、と声が漏れるのは、サイにもわかる言葉を探しているのだろう。
「そもそもどうして飛空石が必要なのか知ってるか」
「燃料だから?」
 歩き出したトッドに続きながら、サイは問う。飛空船に関する色々はトッドから聞かされていたが、複雑なことは話半分に聞き流していた。そのことを口にのぼせても、トッドは傷ついた表情することなく、むしろ機嫌よさげに語り出した。
 始まった、と内心聞き流したくなるのを堪えて、今回ばかりはちゃんとトッドの言葉に耳を傾けた。
「半分正解。飛空船の主な燃料は水素だ。この水素ってのが曲者で、ちょっとしたことで爆発する。だが飛空石と反応すると、安定して、下手なことじゃ爆発しなくなる」
 他にもいろんな要素があるんだけどな。そう語るトッドは、子どものように楽しそうだ。
「じゃあ水素だけでも飛ぶことは飛ぶの?」
 飛空石が水素を安定させるものだとするならば、なくても大丈夫なのではないか。そんな仮定は、トッドの呆れたような視線に両断される。
「飛ぶには飛ぶが、んなもん自殺行為だぞ」
「あらそう。――ねえ、質問に答えてもらってないんだけど」
 睨み上げると、肩を竦められた。
「飛空石の重要性が分かってもらえたところで、本題に入ろうか。一体何が問題か?」そこでトッドの声のトーンが下がった気がした。
「軍の飛空石占有だよ」
 ――軍が、悪い。倉庫でのナージャの言葉が思い出された。サイの拳が、知らずぐっと握りしめられる。
「軍が飛空石を占有して、商人に横流しをする。そうやって儲けてんだ。受け取った商人は飛空石馬鹿高く売る……。だから飛空石が欠片も買えやしない」
「そう、だったの」
 乾いたトッドの声に、言葉が詰まった。辛うじて絞り出した声を聞いていないかのように、トッドはすたすたと歩いていく。
 ――やっぱりあの部品はパズルだったんだ。
 倉庫の中の、完成間近の部品を思い出して、そんなことを思った。完成できない。誰あろう依頼主サイのせいで。
 そんなのは、嫌だ。
「ねえ、トッド」
「なんだ」
「例えば――例えば、自分で飛空石を採りに行くってことは、出来ないの?」
 トッドは少し思案するように立ち止ってから、首を振った。
「駄目だ。産地への――北部への列車は規制されてる」
「そう」
 そうして、失意の二人は、とぼとぼと黒猫亭へと歩を進めた。