Novel

一章 五

「……というわけだったのよ」
 サイは作業するトッドと向かい合うように、木箱に座っていた。疲れたように項だれて、白いため息をついた。
 行ったときよりも工房はにわかに活気づいていて、さざ波のような職人達の話し声がする。
「お疲れ様」
 まあ、お役所仕事だからな、とトッドは笑い、作業する手を休め、床に座り込んだ。彼の周りには様々な工具が散らばっていた。
「あれ、誰? ナージャって名前の子。仲良いみたいだけど」
「あいつんちが食堂やってるから、その縁でな」
 妙な誤解されてないと良いけど、トッドはぼそりとそう付け加えて、サイの方を向いた。相変わらずのコート姿に、思わずサイは、
「コート脱ぎなさいよ」
 そう言った。
「断る、だって寒いだろ。それにここ、半分外じゃないか」
 大きく開かれた工房の入り口を示しながら、トッドは言う。コートの襟に口元を埋めながら、サイは温度感覚が狂ってるんだ、と弱々しく言う。うっすらとした吐息が宙に消える
「なによそれ」
「こんな寒いときに、チュニックとベストだけのお前があり得ないってことだ」
「だって平気だもの」
「見ていて寒い。……ちょっと待ってな」
 おお、寒い寒い。そう言いながら、トッドが工房の奥の宿舎へと消えていった。一、二分した後、トッドは白いマフラーを手にサイの目の前に現れた。いつの間にか職人達の話し声が止んでいた。
「なにそれ」
「もらいもんなんだが、俺みたいな奴にはどうにも邪魔っ気でさ」そこでトッドはちらりと船の方へ視線をやった。「やるよ」
 確かに造船士にとって、ひらひら舞うマフラーは邪魔でしかないだろうとサイは得心する。むしろ事故の元だわ。そう思いつつ、サイは押しつけられたマフラーを受け取った。
 途端、おおっと野太い男どもの歓声が響いた。反射的に声がした方を向くと、工房に出入りしている職人達がピュウピュウと指笛を鳴らし、トッドの周りに集まっているところだった。そして異国語でなにやらはやし立てている。
 トッドはといえばなにやらうんざりしたように職人達に指示を出していた。
「何?」
 職人達が残念そうな様子でサイの目の前に横一列に並んだのだ。
「あー。紹介するな、こいつがトーボーグ。俺と一緒にこの工房を立ち上げた奴だ。まあ言えば最古参だな。顔は知ってるだろ」
 ここまでで、トッドとサイが交わしていたのは二人の母国語である。だが自分の名前が呼ばれたのは分かったらしい。指さされた背の高い茶髪の青年が会釈をした。確かに、昨日会った人物だ。
「そんでソーマ。んで息子のトーマ」
 順繰りにトッドに指された黒髪の厳つい男、そしてその息子らしい少年が同様に会釈する。二人ともそろいのヘアバンドを着けていた。
「んで、こっちは」
「いい。自分でする」
 トッドの言葉を遮って、サイは言った。異国語で淡々と挨拶をする。
「私はワン・サイ。サイが名前。よろしく」
「よろしく」
 サイが三人と握手を交わす中、トッドはただ一人、眉根に皺を寄せていた。
「ねえトッド」
 ふっと目元の皺を緩めたトッドが、サイの方を向いた。
「なんだ」
「これで全員?」
 その声は不安そうに船を見上げていた。
「んなわけねえだろ。今日は休日だからな。明日になればやかましくなるだろうよ」
「道理で配給所もやってなかった訳ね。ところでこれ」
 サイはトッドから受け取ったマフラーを掲げてみせる。既製品らしく、凡庸なデザインだった。
「私もいらないんだけど」
「お前はつけとけ」
「えー」
 ぶうたれながらも、サイは受け取ったマフラーを首に巻いた。白い毛糸が首元で舞う。トッドの仲間三人がひそひそとなにやら会話しているのは聞かないふりをした。聞こえたところで、どうせサイには何を言っているのか理解出来ない。
「まあ、いいわ。ところで、さっき言ってた食堂ってどこにあるの?」
 諦念の混じった声で、サイは言った。暇なときに行ってみたい。そんな軽い気持ちで言ったのだが、当のトッドは驚きに目を見開いていた。まるで何かを思いついた、そんな様子で。
「ああ、そうだ」
 トッドはその赤さび色の目を興奮で見開いて、片手を軽く掲げた。口元は緩く笑みを浮かべていた。
「そうだよ、行っちまえばいいんだよ」
 呟くような声だった。
「トッド?」
 困惑したようにサイが声をかけた。他三人も心配そうだ。
「俺の知り合いに軍属の奴がいるんだ」言いながら立ち上がり、フードを目深にかぶる。「今日ぐらいには帰ってくるはずだから、掛け合ってみれば、もしかすると」
 トッドは振り返り、三人に出かける旨を伝えた。分かりました。三人を代表して、トーボーグからそんな返事が返ってくる。
「よくわかんないけど、私も行く!」
 すたすた歩き始めたトッドの背中を追って、サイも立ち上がった。その首元で、純白のマフラーが羽根のように舞った。