工房の奥は職人たちの居住スペースとなっていて、静かな表の工房とは対照的に騒がしい。トッドが号令をかけると、職人達が三々五々集まった。
「全員注目。前々から話してたお客さんの到着だ」
トッドの紹介で、物珍しげな視線がサイに向けられた。人だかりの中にトーボーグはいない。ついてこなかったのだ。
「驚いたか?」
得意げにトッドが問う。余程仲間が誇らしいんだろう。
「ええ、ちょっと」
職人達の年齢層は幅広い。上は頭の禿げた老爺から、下はサイより年少に見える少年までいる。サイト同い年ぐらいの少女の姿もある。
「えー、紹介すんな。まずは所長のヴィーカ」
トッドが最も年上と思われる職人を示した。
「お前が仕切んのかよ」
一番年下の少年が言った。トッドは彼に視線をやると、にやりと笑って、頭をぐりぐりと押さえつけた。周りの職人達はそれに大笑いして、もっとやれ、と囃し立てる。
「いーてーえー。痛(いて)ーよ、トッドのバーカ!」
「この生意気なのがソーニャ。造船所で一番のチビ」
トッドの紹介に、ソーニャがぎゃあぎゃあ喚いた。トッドの紹介は標準クローヴル語ではなかったのだが、理解できたのだろうか。
トッドがソーニャの喚きを流しているせいで、サイは何を言っているのかよく分からない。
喚き疲れたソーニャは、ゼイゼイ肩で息を整えていた。それを少女と、彼女に歳の近い少年がからかっている。
「で、ソーニャをからかってるのが紅一点のミーナ、とマクシーム」トッドは子どもたちの後ろを指差した。
「その後ろでしかめ面してるのがソーニャの親父のヴァーニャ。で、関係ねえって顔してニコニコしてるのがキールピ。覚えたか」
「ええ、なんとか」そこでサイは言葉を切って全員を見渡した。
「ワン・サイよ。サイが名前。よろしく」
「よろしく」
全員を代表してか、所長のヴィーカが差し出した片手を取った。どことなく雰囲気が硬い気がするのは、サイの気のせいだろうか。
「ちょっと、あなた」
急に真横から話しかけられて、びっくりする。サイに声をかけてきたのはミーナだ。サイがミーナの方を向くと、彼女は、何やら威嚇するように胸を反らせて言った。
「あなたね、ここ一番の美女になりたいのかもしれないけど、そんなの私が許さないんだから」
と、それを聞いた周りは大爆笑だ。
「お前、突然肩を怒らせてどうしたと思ったら。……安心しろ安心しろ、お前がここ青皮造船所一の美女だから」とはトッド。
「そうそう、新入りじゃ敵いっこないって」
「うちの美人にはそばかすと筋肉がなくちゃねー。あと自分に対する自信?」
とはマクシームとソーニャの弁である。
そもそもサイには何がなんだか理解できず、首を傾げるしかない。なんで周りが笑っているのか、どうしてミーナがそばかすの目立つ顔を、怒りと羞恥で震えさせているかなんて、わかりっこなかった。
ただひとつ言えることは、ミーナのお陰で確実に空気が解れたと言うことだ。
和やかになった流れは、異邦人のサイに友好的な雰囲気を作り出した。ここ青皮造船所は、トーボーグもここの所属のはずなのに、どうしてこうも違うのだろう。
ミーナに乱暴に手を引かれて、転びそうになる。なにせ足元に視線を落とすと、職人たちの衣服が散乱していたり、散らかした工具に転びそうになったりするのだ。
身振り手振りから察するに、どうにも案内してくれるらしい。
サイがそれに頷ずくと、ミーナは障害物をものともせずにひょいひょい進んでいく。そしてあちこちを指差してサイに教えた。あそこがキッチンで、あそこがトイレね、と。
「俺も行く!」
とソーニャが声を上げたのを皮切りに、職人達がついてくる。彼らもまた、 どこが何なのかということをこちらにお構いなく喋りだす。
無論サイには聞き取れていないわけだが、内容を訳すと大体以下のようになる。
「おい風呂場の当番誰だよ。いい加減使えねえぞ、これ」
「俺じゃねえよ」
「俺でもねえ」
「先週決めたろうが! 当番表どうした」
「ここに……。あれ?」
「おいおい、またか」
汚れ放題の風呂場を見て、男たちがああでもないこうでもないと議論するのを放って、ミーナは、サイが寝泊まりすることになっている一階の突き当り手前の部屋に、彼女を案内した。
そこは ベッドとクローゼットがあるだけの小さな部屋だった。
「大丈夫?」
ゆっくり、手振りも交えて確認するような声音だ。サイはその声に振り向いた。
「ええ、問題ないわ」
「よかった」
サイの言葉に、ミーナは安堵の表情を浮かべた。サイがこの部屋を気に入るかどうか、余程気掛かりだったのだろう。
「ねえミーナ」 サイはトランクを開いた。渡すべきものがあった。
「ええと、お金……。спросил(尋ねる)――は違う」
「спрос(依頼)?」
「そうそれ!」
ミーナを指差し、トランクの中から幾重にも布を巻いた、布の塊を取り出した。丁寧に布を解いていく。
ミーナが、中から現れたものに息を呑んだ。
それは純金製の短剣だった。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってて」
言いおいて、ミーナは部屋を飛び出した。やがて、所長のヴィーカを伴って戻ってきた。
ヴィーカはサイが持ち出したそれに息を呑んで、二、三度目を瞬かせたけれども、突然姿を現したことに面食らっただけのようだった。
事実、サイが短剣を無造作にベッドにおいて、トランクを閉める頃には、平常心を取り戻して、ナイフを検分し出していた。
「足りる?」
「十分だ」サイの問いに、ヴィーカは皺の寄った口角を不敵に釣り上げた。
「よしわかった、受け取ろう。交渉成立だ」