Novel

一章 三

 工房の中は、窓からの明かりでうすら明るく、中央には薄日に照らされた作りかけの船の部品が鎮座していた。
部品はばらばらで未完成ながらも、堂々たる様相を示している。このばらばらの部品を組み立てれば、空船の形になるだろう。
休日だからか、彼ら以外に人は見当たらない。
サイは巨大な部品を見上げ、感嘆の声を上げた。そこへ、フードを外したトッドが声をかけてきた。銅(あかがね)色の髪と目が露わになっている。垂れ目気味の目が、サイの少し後ろに立って、同じように船の部品を見上げた。
「どうだ?」
なにが、とは訊かれなかった。むろん部品に不備があるはずもない。それは、トッド自身が理解しているところであろう。
後部の床に散らばる部品は、それぞれ堂々としていたが、要(かなめ)が抜けていた。たとえるならピースの足りないパズルだろうか。ある程度は組み上げることは出来ても、決して完成することのない、がらんどうの状態。
「充分じゃない」
サイは瞳を輝かせて言った。頭の中では、足りない部分をどうやって補うかの算段が、足りない頭(誤字に非ず)で練られ始めていた。
たとえがらんどうでも、八割出来ているだけ十分だ。
その八割は、三年前に以前の造船計画がくじけてしまった時から、造船団が意地とプライドをかけて制作し続けてきたものだ。
「あとはプロペラを付けて、浮き袋を付けて――手伝いなら言ってね――あとは」
思い付く限りを列挙して、指を折っていくサイのその姿は、いたずらを考える子どもに似ていた。
最後の言葉は、二人が同時に発した。それは造船に関しての最大懸念事項――。
「飛空石(ひくうせき)」
二人の間に沈黙が落ちる。どちらかがため息をついたかもしれなかった。
プロペラや浮き袋のような艤装とは違って、簡単にはどうこうなる問題ではない。そこには国策と領土問題が絡んでいた。
「おや、戻られていましたか」
「ん? ああ」
トッドの右腕トーボーグが、工房の奥から姿を現して、二人に声をかけた。トッドが一瞬そちらの方を向く。金髪に濃い緑色の目をした青年だった。なまじ頭が縦に長くてヘアバンドをしているので、刈り上げているように見える。
「どうされました?」
――なんでもないさ。
右腕からの質問に、トッドは短い標準クローヴル語でもって返した。早口だったので、サイは聞き取ることが出来なかったが。
ずいぶん感情を押し殺した声に聞こえたのは気のせいだろうか。
「なに?」
サイが嘴(くちばし)を突っ込んできても、トッドは何でもない、と返すだけだ。本当にトッドはサイを造船に関わらせる気がないらしかった。その態度が「さっさと帰れ」といっているようで、若干むかっ腹が立つ。
記録をたどると、当時クローヴル国内では飛空石が法外な値段でやりとりされていた。それこそ、トッドたち青皮造船団のような個人経営の工房など手が届かないほどに。
時局に唇を噛んでいることしかできないトッドの心境を察したのか、トーボーグが早口で意見を述べた。主な内容はこんなようなものだった。
――今は大人しく部品の製作に取り掛かるべきです。どんなに政府の文句を言ったって、飛空石の値段が下がるわけでなし。
と。
「まったくその通りだ、くそ」
短く悪態をついて、トッドは項垂れる。作業台に凭れかかって、片足で床を蹴った。サイは会話が理解できず、ただ事態を眺めていることしかできない。だが、指をくわえて待っていることは、サイの一番の苦手分野である。
この時期、クローヴルは飛空石の大半を輸入に頼っていた。そしてクローヴル最大の貿易相手は、皮肉なことに領海権を争う隣国フォルトブルクなのであった。
安定しない外交状況、そして国内情勢が、飛空石の値を釣り上げていたのだ。
「けど、国内にはあるんでしょ」
この時点で、もうすでにサイの言葉尻が乱暴なのは、無理からぬことであった。
トッドは幼馴染みが短気を起こしたことに気がついて、しまったと言わんばかりの表情になった。サイがかんしゃくを起こした時、真っ先に被害を受けるのは大抵の場合トッドなのだ。
「あるけど」
クローヴルは飛空石の埋蔵量だけなら他の国を圧倒するが、その量とは反比例して精製技術は未発達であった。これは、飛空石が特殊な力を持つがゆえに、信仰の対象と見なされてきた歴史に起因する。
「じゃ、直接買いに行けばいいじゃないの。加工職人はこっちで雇っちゃって」
短絡的なサイの言葉に、トッドは目を瞬かせた。名案だと言わんばかりの表情を浮かべたが、それをすぐに首を降って打ち消してしまう。
「お前ってほんと変なところで機転効くよな。だが残念、産地への列車は規制されてて、民間人の俺らは使えないのさ」
あっという間に手立てが消えた。
かっとなって、後先考えずにトッドの黒いコートの襟元を締め付ける。
背後でトーボーグが驚きの声を上げたが、そんなこと気にしてはいられない。
「なんでそんなすぐに諦めちゃうのよ!」
腹が立った。このどうにもならない状況に。投げやりな幼馴染みに。
何がどうしてこうなっているのか、サイには分からない。分からないから悔しかった。
多分相当辛いことがあったはずなのだ。サイの記憶の中の幼馴染みは、こんな諦めの良い奴じゃなかった。
トーボーグが間に入ってサイを引きはがした。ようやく息が楽になったトッドが咳をするように深呼吸をしていた。
悔しさを飲み込むようにサイはうつむいた。幼馴染みに何もしてやれない自分が悔しくて、ぎりりとこぶしを握り締める。
三人とも黙り込んで、言葉を交わす者はいない。
苛立った足が床を蹴った。サイはじっとしているのが嫌いだった。これは昔からの習い性なのだから、もう直しようがない。
だが、どんなに大人しくしているのが嫌でも、今は何もできない。無気力感のせいか、体が重く感じられる。
「ともかく、だ」
体感時間にして三分ほど経った頃、トッドが手をパンと打ち鳴らした。
「まあ、まず本体を完成させなくちゃあ話になんねえ」
「……そうですね」
トーボーグと連れだって、部品の方へ歩いて行くトッドに向かって、サイは声をかける。
「ねえ、私は?」
問いかけに、トッドは一瞬困惑したような表情を浮かべた。それは先ほどまでの切羽詰ったような表情ではなく、銅色の瞳が、サイのよく知る面倒見の良さを形作っていた。
「長旅で疲れたろ? 奥で休んでろよ」
言われて、サイはどっと疲れが押し寄せてくるのを自覚して、大人しく頷く。
「そうね、お言葉に甘えさせてもらうわ」
珍しくしおらしい幼馴染の姿に、トッドは銅色の髪をかき回し、彼女を工房裏の宿舎の空き部屋へと案内した。