Novel
2章 13
サイが目を覚ますと、そこは四角い部屋だった。ここは病室で、自分はベッドに寝かされているのだと気付くのに、時間を要した。気を失う前の記憶を思い出して、がばりと身を起こす。
気絶する直前に、銃弾が掠めたらしい二の腕が傷んだ。触れれば、包帯が巻かれている感触がある。
「トッド!」
周囲を見渡しても、ほかに入院している患者はいない。ここはサイ1人の病室のようだった。
「目を覚まされましたか」
部屋の入り口から強張った声を投げかけてきたのは、トッドの右腕トーボーグだった。否、「元」右腕と改称した方がいいだろうか。刈り上げた黒髪の下から、硬い表情で、じっとサイを睨みつけている。自分のすぐ傍にトッドがいないことがとても恐ろしいことのように思えて、サイは恐る恐るトーボーグに尋ねた。
「……ねえ、トッドはどこ。無事なの?」
サイの質問に、トーボーグは唇を噛みしめた。そして、喉の奥から絞り出すかのような声で、告げる。
「トージャは、死にました」
トーボーグが低い声で告げた極短い文章が、まるで鈍器のようにサイの頭を殴りつけたかのようだった。幼馴染みの死を受け入れることを拒否するかのように、サイは首を振った。
「そんな、嘘よ、トッドが死んだ? そんなはず……」
「嘘じゃない!」
トーボーグは怒鳴って、サイの襟元をつかみ上げた。その手は震えていた。その時に、サイは自分がトッドから貰ったあのマフラーをつけていないことに気付く。
「あんたのせいだ! トージャは元々そこまで自分の身を犠牲にする気はなかったんだ。それをあんたが、無理矢理……!」
「なによ、それ」
トッドが自分の身を犠牲にした? トッドはアルファードに殺されたんじゃないの。どっちにしろ気分が塞ぐような事実であることは変わりなくて、言葉尻は自然、沈んだものとなる。
「トージャは燻り続けていれば生きていられたかもしれないのに、あんたがトージャの職人魂に火をつけたりするから! トージャは、文字通り、造船に命を捧げるしかなかったんだ……!」
トーボーグは思いのたけを怒鳴り散らすと、生気が抜けたかのように崩れ落ちた。そして、頭を抱えて、なんで、どうしてだ、と、うわごとのように繰り返す。怒鳴ったほうも怒鳴られた方も、お互いにただ、虚しいだけだった。
「ねえ、私はこれからどうなるの」
不意に自分の処遇が気にかかって、それをそのまま口に出した。すると、病室のドアが突然開け放たれたかと思うと、くすんだ金髪に灰褐色の瞳をした少女が入ってきた。「食堂黒猫亭」の看板娘、ナージャだった。
「サイ、帰っちゃうのか?」
よほど慌てて駆け付けたのだろうか、服装はやや乱れていて、息も上がっていた。
「サイ、大丈夫だったか。トージャのことは、その、残念だったな。犯人、早く捕まるといいね」
だから、まだ、帰らないで、というナージャは年相応だ。どうやらこの子どもにはトッド殺しの犯人は知らされていないようだった。トーボーグは事情を知っているようで、痛々しいものを見るような視線をナージャに向けていた。
ドアの陰から、ナージャを追いかけてきたらしい「黒猫亭」の女主人マルーファと、シードルが気まずそうに顔を覗かせていた。
マルーファはナージャに、廊下で待っていなさいと言い置いて締め出すと、サイとトーボーグに向かって白髪まじりの茶髪を下げた。
「甥がなんてひどいことを。……気休めにしかならないことは承知ですが、御免なさい」
流石のトーボーグも、マルーファが頭を下げたことには面食らったようだった。頭をあげてください、とマルーファを促す。
「ことを起こしたのはアルファードであって、あなたではないでしょう。それに僕は具体的に奴が何をしたのかを知りませんし」
トーボーグはそう言って、サイの方へ視線を向けた。トーボーグに促されたマルーファも同じように顔をあげた。
「あなたは、少し前にトージャと一緒にお店に来た子よね? 何が起きたの。話してくれるかしら」
マルーファの真摯な青い瞳に射抜かれ、サイは形見となってしまったマフラーを胸に(マフラーには少し血が染みていた)、ポツリポツリと、あのとき駅であった出来事を語り始めた。言葉を重ねるほど、トッドは死んだのだということを痛感させられたが、不思議と涙は出なかった。
「本当に、わたくしの甥が酷いことを……。外が騒がしいのも、だからなのですね」
「騒がしい」というのは、造船士トッド・ノルドハイム銃殺の報を受け、モントレビーの街は殺気立っていたのだ。これは後に「モントレビーの乱」と呼ばれる事件となる。この事件の中心となったのは、下町に住む職人たちだ。
駅は人の集まる場所だ。軍がどんなに緘口令(かんこうれい)を敷いても、「軍人にトッドが打たれたという事実」は捻じ曲げようがなかった。だからこそ、マルーファもおおよその事実を把握していたのだ。
改めて病室を見ると、被害者側の人間と加害者側の人間が一堂に会しているなんて、奇妙なことのように思えた。全員それらしく、喪に服したかのような雰囲気に浸っていたものだから、締め出されたナージャが病室のドアに聞き耳を立てていたことに気がつけなかった。
廊下からシードルの「ナージャ!」という叫び声が聞こえた。驚いたマルーファが何事なの、と病室のドアを開けた。