Novel

2章 15

 お茶を飲んで人心地着くと、一行は駅へと出発した。相変わらずの寒さにトッドが文句を言いだしたが、それもすぐになくなった。寒くて舌が回らなくなったのだ。
 駅へ向かう乗合そりの中は、来た時よりも静かだった。どうにも、薄気味悪いものがとぐろを巻いているようで不気味に感じられる。
 そうして、約三時間半の行程を経てプーリャニジェへ着く。帰りの列車の申請をするのだ。トッドはそれに訝しげな表情を作った。
「今日帰るのは決まってんのに、いちいち許可を取んなきゃならないのか?」
「だって、ほら、僕が今日確実に合流できるとは限らなかったわけだろ」
 いささか暗いトーンでアルファードが告げる。それにトッドとサイが不可解そうな表情になると、アルファードは暗い笑みで、僕だって運の良いほうじゃないんだよ、と言った。それにトッドは憐憫の表情を浮かべ、サイは一層不可解な表情になり、フィリクスは納得しきりに頷いた。
「司令部だって、兄さんをさっさと追い払いたいはずだしね」
「フェルーヤ」
 フィリクスの茶々をアルファードが窘める。朝とは真逆の構図だ。
 そりが停まると4人は連れだってそりを下りた。兄弟は許可を取りに、サイとトッドはその間食堂で待つ算段だ。トッドが御者に、お前もどうだ、と声をかける。
「奢るわよ、トッドが」
「なんで俺が」
 サイの茶々に憤慨しつつも、トッドはしゃあねえな、と受け入れた。トッドがトッドたる所以だ。御者はその申し出にゆるく首を振る。
「私がそりを離れるわけにはいかんでしょう」
「それもそうか」
 トッドはそれ以上詮索せず、身震いさせてそそくさと食堂へ向かった。
 食堂は人もまばらだ。
「なんだか寒々しいな。そりのほうがまだ暖かく……いや、それはないか」
「あら、だったら私はそりで待っててもよかったのよ」
「馬っ鹿、お前を1人にしたら造船団の奴らにどやされるだろうが……。それに、お前の母さんに顔向けできねえだろ」
「……あっそ」
 素っ気ない返事をして、サイは手元のホットミルクに視線を落とす。
「それに――」
「それに、何よ」
 サイは不自然に言葉を切った幼馴染みのほうを、不思議そうな表情で振り返った。トッドは何でもないと片手を振った。それが誤魔化しだということはサイも気づいていたが、深い追及はしなかった。
 そうして、2人で他愛ない会話をしてノリネン兄弟を待つ。兄弟が列車運行の許可を持って帰ってくるのに、そう時間はかからなかった。

 駅に着いてから、アルファードの様子がおかしかった。
 さっきまでフィリクスと軽口を叩きあっていたのに、急に黙りこくってしまったのだ。フィリクスがそれを見て、僕と離れるのがそんなに寂しいのかい? とからかっても、反応しなかった。いよいよ発車の時間となってもどこか上の空でいるので、トッドが心配したように声をかけた。
「おい、出発するぞ。乗らなくていのか、アルファード」
「え、ああ」
 アルファードが眠りから覚めたように応えて、フィリクスに何かを伝えた。兄の背中を見送る弟の表情が、やけに陰鬱そうなのが目についた。列車に乗り込んだアルファードにサイが理由を訊くと、彼は何でもないですよと言って、わらうだけだ。
 来た時と同じ行程を経てソレーンへ戻る。だが列車の中に同じような高揚感はなく、代わりに、周囲にもやがかかったような、漠然とした不安感があった。得体の知れない緊張が3人を包んでいた。
 そうしてその日が訪れた。6月26日。その日は朝から雲が垂れ込めていた。曇天なんてクローヴルでは大して珍しくもない天候だが、この日に起こる事件のことを考えると、それすら何らかの予感に思えるのだから不思議なことだ。
 時計は午(ひる)の12時22分を指していた。丁度、プーリャニジェからの列車が着いたところだった。
 ――タァン。
 サイの背後で、銃声が響き渡った。振り返れば、丁度撃たれた幼馴染みが崩れ落ちるところだった。
 サイが血相を変えて駆け寄るも、その時にはもう、トッドの赤銅色の髪は血だまりの中に沈んでいた。あの見間違えようもないほど紅い瞳は、瞼の奥に閉ざされてしまっていた。
「トッド?」
 サイがどんなにトッドの体を揺すっても、反応はない。それどころか、トッドの体は、クローヴルの寒気であっという間に熱を奪われていく。
「トッド、ねえ、起きてってば」
 サイの声は複数の理由で震えていた。いつもなら、うるさいなあ、とトッドの不満が返ってくるだろうが、もうそんなことを考えるのは不毛というものだった。そう、トッドは死んだのだ。片手でそっとマフラーに触れる。あの、やたらと寒がりな幼馴染みは、もう。
 おもむろにサイは立ち上がり、ベルトに挟んだレイピアに手をかけた。そしてその切っ先をアルファードへ向けた。
「友人じゃ、ないのか!」
 トッドはアルファードを「友達」だと称したのだ。サイには、それが上っ面だけのものだとは思えなかった。アルファードだって、トッドのために列車の許可を取るべく尽力してくれたではないか。
「だからですよ」
 サイに予断なく銃を突きつけながら、アルファードは言った。そしてその体勢のまま、引き金を引いた。