Novel

2章 14

 マルーファが廊下のシードルから事情を聞いているうちに、サイは血がこびりついたままのマフラーを首に巻いた。勢いをつけてベッドから降りると、貧血からだろうか、軽い眩暈がした。虚弱気味のサイが、二の腕を除いてどこも怪我をしていないのは、僥倖だろうか。 不意に視線をあげると、トーボーグと目があった。彼の責めるような視線を受けきれなくて、顔をそらしてしまう。トーボーグが望んでいるのは、謝罪でも償いでもなんでもなくて、きっと目の前から消えることなのだ。
 でもそれは無理な相談だった。そもそもサイはクローヴルに船を造りに来ているのだ。船を作ることがトッドへの償いになるのだろうと思うし、ここで諦めたら、それはトッドの思いを踏みにじることだとも思う。だから、こんなところで諦めるわけにはいかなかった。
「聞いていたの?」
 部屋の出入り口で、マルーファが頓狂な声を上げた。そちらを見ると、マルーファが慌てて病室を出ていこうとしていたところだった。トーボーグがその背中に声をかけた。
「どうしたんです」
 トーボーグの問いかけに、マルーファは困ったような表情で、言った。
「ナージャが私たちの話を聞いていたみたいなの、あの子ってば。……ちょっと私たちは探しに行ってくるわ」
「私も行く」
 サイは一歩前に出た。
「2人より3人で探した方が早く見つかるわ」
「なら僕も行きましょう。このままだと流石にあの子が可哀想だ」
 トーボーグも口を開いた。4人はナージャが見つかり次第病室に連れてくることを決めると、それぞれ別のところへ探しに向かう。
 サイはとにかく階段の周囲を探していった。なんとなく、ここが移動しやすかろうと思ったのが理由だ。もしかしたらナージャはもう黒猫亭に帰ってしまったのかもしれない。そんな不安もよぎる。シードルはそうでもないが、ナージャは随分とはアルファードに懐いていたように見受けられたからだ。
 そうして2つ階段を上がっていった先のベンチで、ナージャの姿を捉えた。
 ベンチに座ったナージャは、項垂れていて、遠目からは泣いているように見えた。真偽のほどはサイに背を向けて座っているので、近づかないことには分からない。意を決して、ナージャの傍による。
「ねえ、ナージャ」
「サイ」
 ナージャが暗い顔をこちらに向けた。気丈にも、彼女は涙を流していなかった。
「ねえ、サイ。アーリャは悪い人なの? アーリャがトージャを撃ったの?」
 覚悟はしていたが、いざナージャ本人からその言葉が出てくると、揺らぐ。サイはぐっと心を落ち着かせて、至極冷静に、言った。
「確かにアルファード少佐がトッドを撃ったのは事実だわ。けど大丈夫よ、きっとアルファード少佐にも理由があったの」
 口に出すと、それが本当のことに思えるから不思議だ。唐突に響いたあの銃声が、真っ赤になって倒れた幼馴染みが、今も脳裏に生々しい。けれど、理由もなく人を殺すことなんてあるだろうか。サイは頭の中の考えを打ち消すように、緩く首を振った。そんなことありえない。
 だってアルファードは軍人なのだ。きっとのっぴきならない理由があったに違いない。
「そうよ、そうに決まってる」
 そうじゃないとやり切れなかった。
 ナージャの顔が歪んだ。ナージャは膝をつかんで、ぶるぶると泣くのをこらえているようだった。
「あたし、ずっと、ア、アーリャが帰って、くるって、待って、たのに!」
「それはかなしいわね」
 その声は震えていた。見ていられなくて、自分より少し低い位置にある頭を抱きしめる。やがて、その僅かに低い位置にある頭から、人目を憚らないほどの泣き声が上がった。
 泣き声を聞きつけて、真っ先に駆け付けたのはシードルだった。
「ナージャ」
 シードルはナージャの真っ赤に泣きはらした目を見て、心配そうに表情を曇らせた。
「大丈夫だったかい。乱暴されてない?」
「馬鹿にすんな!」
 ナージャがかっと頬を赤くさせてシードルの頭を叩いた。そのまま軽い喧嘩のようなじゃれあいが始まる。泣き声を聞きつけたらしいマルーファとトーボーグも駆けつけてきて、廊下は一気に騒がしくなり、看護師に注意を受けた。