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2章 12

 5月22日、サイたちと別れて北方司令部に赴いたアルファードは、司令ノーベルフ少将と対面していた。二人の背後には、アルファードを威嚇するように司令部の幹部勢が詰めていた。二人はお互い型通りの名乗りをして、アルファードが要件を告げる。
「この度は、アニーシヤ・ナウーミナ・コーネヴァ大佐の命により北方司令部へ参りました」
 アルファードの言葉に、ノーベルフ少将は訝しげな表情を作った。アルファードの背後の物々しい幹部たちにも、緊張と不審が走る。
「中央からの視察ではないのかね」
「伝達が行き違いましたこと、お詫び申し上げます」
 伝達は行き違ったのではなく、わざと間違ったものを伝えたのだ。もともとアルファードは中央司令部所属だ。それを利用したアニーシヤが、“表向きは”中央からの視察という態を取らせたのである。
「人の気遣いも無碍にしてくれるしね」
 暗に「フィリクスはどうした」という不信感を滲ませて、ノーベルフ少将は薄青の瞳でアルファードを睨み上げた。
「その件に関しましては……。私用でフィリクス、いえ、案内人を他所へ遣(や)ってしまいまして」
「他人の部下を勝手に使うなんていい度胸してるじゃないか」
 ノーベルフ少将の言う通りで、アルファードは大した申し開きもしなかった。それにしたってつかみどころのない男だ。なかなかアルファードに対話の糸口をつかませない。ノーベルフ少将という男は、そうやって中央の不信を買い、出世の道から外された男であった。
 ともかく、彼にアニーシヤからの要請を伝えるのがアルファードの使命であった。左遷を食らっただけあって、ノーベルフ少将はそれなりに有能だった様子だ。
「弟を目にかけてもらえているとは、兄としても光栄です」
 その言葉に、ノーベルフ少将は顔をゆがめた。事実と違っているからか、どうにも「目をかけている」という言葉がむず痒かったらしい。
 意趣返しに成功したところで、アルファードは本題を切り出した。
「さて、コーネヴァ大佐からの要請です。と言いますのは、前線への出兵を拒否していただきたい、ということです」
 要請の内容に、少将は目を瞬かせて、訝しげな声をあげた。
「そんなことでいいのか」
「ええ」
 「そんなこと」とは言うが、実際前線基地西方司令部に次いで出兵数が多いのは、北方司令部である。左遷された人間が集まる北方司令部だ。やはり名誉回復を望む人間が多いのだろう。
 それをするな、とアニーシヤは言うのだ。
「おや、つまりこういうことだね。『中央に刃向え』と」
 言ってノーベルフ少将は可笑しそうに顔を歪めた。中央の犬たるアルファードが、反逆教唆をしているのだ。これが滑稽以外のなんであろう。
「いよいよ中央も落ちるとこまで落ちたかね。――ああ、こちらが出兵拒否をする話だが、もちろんこちらに『利』はあるのだろうね?」
 わらうノーベルフ少将を黙殺し、アルファードはトランクの中から包みを取り出した。その中身を検分して、ノーベルフ少将は満足そうに頷いた。
「まあ我々北方も常時人手不足であるからな……。コーネヴァ大佐の言うことは一理ある」
 クローヴルの各司令部は、司令を長とした都市国家のようなものを成していた。そのため、形式はともかく所属する人々の内心は、時に中央よりも各司令部に帰する。だからこそアニーシヤの要請が実行可能だったのだ。
 腐敗の進んだ軍の上層を垣間見ても、「腐敗の権化」たる中央所属のアルファードは、眉ひとつ動かさなかった。
 北方司令部を辞したときには真夜中だった。仕方なしにプーリャニジェの宿に一泊してからスコーリンへ向かおうとしたのだが、弟の不運が伝染(うつ)ったのか、そりが壊れたり、そりを牽く犬が逃げてしまったりと、なぜか問題が多発した。
 それらの問題が片付いて、スコーリンの実家についた頃にはやはりまた真夜中になっていた。
 知らぬ家に入るような心地でトランクを片手に実家のドアを開ける。中央で忙殺されていたせいで、実家に帰るのはもう何年かぶりであった。
「遅かったね」
 開いたドアに反応したのは、なんだか疲れたような顔の弟だ。
「すぐに帰ってくるとお前が嫌味を言うだろうが」
 玄関に立ってコートの雪を払いながらアルファードが応える。
「今言わないでおこうと思った僕の気遣いを返してよ」
「それは悪かった」
 言いながら、コートを脱いでソファの背にかける。当然ながらコートの下からは軍服が現れるわけだが、それを見てフィリクスはあからさまに嫌そうな顔を浮かべた。
「うちの中でそのカッコ見たくないんだよね」
 そう言うフィリクスはガウンの下にいろいろ着込んだ寝間着姿だ。
「……悪かったよ。着替えがないんだ」
 申し訳なさそうなアルファードに対して、フィリクスは大変ですねー、と気のない返事を返す。視線は真っ直ぐにアルファードの片手のトランクへと向かっている。トランクを体で隠しながら苦笑する。替えの軍服しかないとは言いづらかった。
 どうにもフィリクスは朝食の仕込みをするために起きてきたようだ。彼は寝間着姿のまま、リビングの隣のキッチンへ向かった。時計を見れば、朝の4時だった。
「早起きだな」
「まあ、軍人やってればねぇ」
 自嘲するようにフィリクスは言った。それきり会話は途切れる。フィリクスが朝食を作るいいにおいがする。暖炉の炎がはぜる音がする。だが、それだけだ。アルファードもフィリクスも、お互いに何も言わない。気持ちの悪い沈黙がそこに漂っていた。
「あ、忘れてた」
 兄弟の声が重なった。
 先ほどとはまた別種の居心地の悪さに、フィリクスが仕込みの手を止めた。
「何? いい話、それとも悪い話?」
「そっちこそ」
「僕のはまあ、ただの報告だよ。言ってみれば兄さんにとって悪い話かな」
「残念ながら僕の方も悪い話だ」
「程度は」
咄嗟に聞き返したフィリクスが、身構えるようにアルファードのほうを向いた。実際、心の準備がしたいのだろう。
「お前が自分の不運を呪うくらい、かな」
これから自分が話す「悪い話」が、どの程度「悪い話」なのか、アルファードには判断が付きかねた。自分とこの弟では、ずいぶんと感覚が違うのである。
 アルファードの程度表現に、フィリクスは一瞬顔をしかめてから、じゃあ兄さんが先に言ってよ、と言う。悪い話は先に聞いてしまいたいと思ったのだろう。フィリクスは仕込みをひと段落させると、アルファードと向かい合う椅子に腰かけた。
「わかった。フェルーヤ、お前の栄転が決まったぞ」
「……どこ」
 案の定顔をゆがめてフィリクスは問う。大嫌いな軍で、自分が昇進したという自己嫌悪が表情に表れていた。
「東方司令部、アニーシヤのいるところだ」
「冗談でしょ」
 それを聞いて、フィリクスは寄せる気苦労からか、一瞬にして五歳は老け込んだような表情になった。それは先ほどの自己嫌悪も吹き飛ぶほどらしい。
「……そんなに嫌か」
「嫌っていうか、絶対容赦なくこき使ってくるでしょ」
 そう言ってため息をつく。事実こき使われていたアルファードは否定できず、がんばれよ、ということしかできなかった。
「ていうか司令、ノーベルフ少将には」
 俯いていたフィリクスが、不意に顔をあげ、問うた。その質問にアルファードはただ笑って、「聞きたいか」とだけ言う。
「もういいよこの腐れ軍人!」
 軍人嫌い汚職嫌いの弟はそう叫んで頭を抱えた。
 アルファードは東方所属になったフィリクスに伝えるべき要件を思い出して、ああ、あともう1つあるんだ、と指を立てた。
「ソレーンについたら、シードルとナージャの面倒を頼む。あとマルーファ叔母さんによろしく」
「え、兄さんも一緒に来るんじゃ」
 違うのか、とフィリクスは黒い眼を瞬かせた。対するベージュの目は不思議そうに言う。
「僕はそのまま中央に帰るよ。オルヴァー叔父さんからの催促がやかましいからね」
「は?」
 信じられない、フィリクスは低い声で呟いて、片手を額に当てた。
「ねえ、兄さんにとってさ、シードルとナージャはなんなわけ」
「なんだ、ノルンのお前がジーグルンの心配をするなんて珍しいな。初対面の時はあんなにいがみ合っていたのに」
「あのね、僕真面目な話してるんだけど」
「悪い悪い」
 フィリクスの棘のある口調に、アルファードはけらけら笑って応えた。単純に、気の合わないと思っていた弟と会話が長続きしているので嬉しいのだ。ただ、そのせいで調子に乗っているとも言える。
 それはともかく、アルファードは息を吐き出すと、至極冷静な口調でフィリクスの質問に答えた。
「僕にとってのシードルとナージャ、ねえ。単なる保護対象だよ。僕は軍人だからね、家出人を保護する義務もあるわけさ」
「それだけじゃないだろう。兄さんが何の打算もなしに関係もない――というのは語弊があるけど、ともかく、無関係な他人を保護するなんてありえない」
 フィリクスの指摘に、アルファードは表情を笑みの形にした。
「僕のことをよくよく理解しているようでうれしいよ、フェルーヤ。もちろんだとも、彼らを理由なしに保護するわけないじゃないか。あの二人は交渉のカード、あるいは、人質、と言えばいいかな」
 「人質」という言葉に、フィリクスは顔を引きつらせ、やっぱりね、と呟いた。
「『何の』とは聞かないよ、どうせ教えてくれないだろうから。――トージャをスコーリンに連れてきたのも理由があるんだろうね」
「さあ、どうだろう」
 訝しむフィリクスに対して、アルファードは作り笑いをしただけで答えない。暖炉がパチパチと音を立てた。薪が崩れた音を合図にしたように、兄相手に気を張っていたらしいフィリクスが、肩の力を抜いた。
「あー疲れた。兄さんそれで終わり?」
「ん? ああ」
「そう、じゃあ、僕の方は本当に報告だけだからね。2階の客室と兄さんの部屋、サイとトージャに貸してるって」
 椅子から立ち上がりながら言うフィリクスの背中に追いすがるように、アルファードは声を張りあげた。
「は、じゃあどこで寝ろって」
「ソファで寝れば?」
「冗談だろ」
 残念ながら、冗談ではないらしい。フィリクスはそれ以降取り合わず、真剣に朝食の仕込みに取り掛かっている。ソファに横になり、ぼんやりと天井を眺めた。何かできることがあればいいが。そう思いながら、アルファードは忍び寄る睡魔に身を委ねた。