ニルセン家に戻った3人は、暖かな暖炉のある居間で寛いでいた。
「それにしても、本当に光石を採掘許可を取ってしまうなんて。どうせ駄目だろうと思っていたのに」
フィリクスはソファに身を埋めるサイのほうを向いて、感嘆したように言った。
サイはその言葉に僅かに身を起して、トッドだけじゃ無理だったでしょうね、と返した。
「それにしても、あの文字が読める人間がまだいたんですね」
「『まだいた』?」
フィリクスの含みがあるような言い回しに、暖炉に当たっていたトッドが振り向いた。その問いかけにフィリクスは頷いて、応える。
「あれはリューゴと言って、翼をもつ人々、リュージンの言葉だ、と言われています」
リューゴ、という言葉に、サイが僅かに目を細めたが、それに気づく者はいなかった。
「リュージンって、あれだろ。言い伝えや伝承に出てくる、雲の上に住む人々。――なんだってそんな言葉がこんなところに」
「それは」
フィリクスは一瞬目を伏せた後、訥々と、何か神聖なものを外気に晒すように、言った。
「僕らノルンが、リュージンの眷属だ、と言われているからです。ノルンの始祖は地上に降り立ったリュージンだ、と」
投げかけられた言葉に、サイとトッドはただただ茫然とするほかなかった。翼を持ち、空を翔(か)ける民、リュージン。単なるおとぎ話が、思いもよらぬ形で存在を主張してきたのだ。
そんな2人の様子を見て、フィリクスは、まあこれも言い伝えにすぎませんから、と軽く笑って強引に話を締めくくる。フィリクスの総括に、サイとトッドはそれもそうかと顔を見合わせた。
「ですがまあ」
そう呟いたフィリクスは恍惚とした調子で、会えるなら会ってみたいですねえ、と微笑んだ。祈るかのように口元で手を合わせ、殉教者のように目を閉じる。彼がこの願いにどこまで真剣か、自ずとわかろうというものだ。
「で、いつごろソレーンに戻るのかしらね」
夢心地のフィリクスを現実に引き戻すように、サイが声をかけた。フィリクスはそれにはっとしたように眼を瞬かせ、少しどもった後、明日以降です、と答えた。
「いろいろとややこしくて。あなた方がここに滞在する期限は明日、24日までなんですけど。兄が一緒じゃないと面倒が……」
そう説明するフィリクスの眉間には、先ほどと一転して細い皺が刻まれていた。それを聞いてサイとトッドは思わぬ幸運に顔を見合わせた。
「なんだかんだ言ったってお役所だものね」
「そうなんですよ」
慰めるようなサイの言葉に、フィリクスは深いため息をつく。そんなフィリクスの態度に、トッドが苦笑した。
「じゃあ、戻るのは、アルファードを待ち次第ってことか」
「そうなるね。なにやってんのかなあの愚兄」
さらりと兄に対して毒を吐く。元々、予定では昨夜にはアルファードが到着しているはずだったのだが、どうにも仕事が終わっていないらしい。フィリクスはため息をついてから、おもむろに立ち上がった。
「お茶を淹れますね」
そうしてしばらくすると、甘ったるいにおいと一緒に、フィリクスが三つのコップを持ってきた。どうやら甘いにおいはコップの中から発せられているようだった。
「なにそれ」
「塊茶(パタールティー)です。クローヴルでよく飲まれているものなんですが」
サイの質問に、フィリクスはなぜ知らないのか、というような、不思議そうな表情になった。その疑問に答えるように、トッドが口を開いた。
「黒猫亭は食堂だからな、わざわざ家で飲めるもん出さねえだろ。俺の工房にはそもそもこんなもんねえし。だから知らなかったんだろ」
「なるほど」
トッドの解説にフィリクスは頷き、サイとトッドにコップを配る。コップの中には茶色くてどろどろとした液体が入っている。「お茶」には到底見えない代物だが、サイは意を決してコップに口をつけた。
一口飲んだ瞬間、サイはむせ返った。
コップをテーブルに置いて、なによこれ、と呟く。
「本当にお茶? ものすごく甘いわよ」
「まあ、塊茶がお茶なのは作り方だけなので」
フィリクスが苦笑して答えた。パタールティーは乾燥させたパタールの木の枝を煮詰め、それを煮汁ごとペースト状にしたものだ。味については、慣れない者にとってはただ甘いだけなので、濃厚な砂糖水を飲んでいるような気分になることは確実だ。
砂糖が採れないクローヴルで、パタールティーのペーストが砂糖代わりに使用される現状から、その甘さは推して知るべしである。
そもそも、パタールティーは健康食品である。なぜかというと、北国において数少ない糖分補給源なのだ。
苦笑して告げられた内容に、サイは愕然として目を見開く。
「そんなものがお茶と認められていていいの?」
「お前もそのうち慣れるさ」
遠い目をしたトッドが、サイを宥めるように言った。サイはトッドの表情に苦労を読み取って、何も言わず二口目を口にした。再び舌に襲い掛かってきた噎せ返るような甘さに、サイはそれ以上パタールティーを口に含むのを諦めた。
それから遅い夕食を食べ、しばしの談笑の後、サイとトッドは宛がわれた部屋で眠りについた。