Novel

2章 9

「そんなに難しいの?」
 飛空石が眠るルーシャ遺跡へ向かう。その道すがら、サイはフィリクスに尋ねた。
「……まあ、何しろ特殊な文字で書かれているので。この村の人々は全員読むことができません」
 さっきの今でこの態度である。フィリクスはサイにやや引いているようだった。
「何よそれ」
 サイはフィリクスの答えに訝しげな声を上げた。あるいは自分が馬鹿にされたようで憤慨しているのかもしれない。その可能性の高そうな声だった。横からトッドが口を挟んだ。
「答えを捏造してもいいってことか」
 トッドは先ほどの騒ぎで疲労しているようだった。無理もない。長老と談判し、あまつさえ不本意にも村人にたたき出されそうになったのだ。
「いいや、書かれている内容は口伝えでみんな知っているからね。捏造したって無駄だよ」
 当然だろ? とフィリクスは念を押すように言った。
 そりに流されて、周囲の景色はあっという間に変わっていく。トッドは吹きすさぶ寒風に身を竦ませていた。
 遺跡は村に近いところにある、という話だが、周りの景色が延々と変わらないせいで、他所者の二人はずいぶんと長いこと走っている気になり始めていた。
 到着した場所は、周囲となんら代わり映えのない道なき道の只中だった。
「こんなところに何があるっていうの?」
 サイが呟くと、まったく不本意そうな応えが返ってくる。
「まったくその通りぞ、いかで長は、かような者たちをお許しになるのか」
 フィリクスと一緒にサイたちを案内するためについてきた、猟犬(ハーンド)という変わった名前の青年のものだった。
 青年とフィリクスはそりからスコップを取り出すと、地面につきたて、雪を掘り出した。
「手伝いましょうか」
 サイは申し出た。トッドは疲労と寒さとでまともに動けていない。
「ありがたいけど、申し訳ない」
「ここは先祖伝来、余所者の手を入れたことがないのだ。これは先祖からの約束だ。ゆえにその方らがここを触ることを俺は許せぬ」
 フィリクスとハーンドの二人から断られ、サイは少し憮然となってからトッドのいるそりのほうへ戻っていった。
「ねえ、不思議に思っていたのだけれど」
 遺跡を隠すための雪がどかされるのを眺めながら、サイはトッドに問いかけた。
「どうして国はここの飛空石を採らなかったのかしら。だって、”ノルン”は立場が強いわけではないのでしょ」
 サイは別段頭がいいわけではないが、人がこんな過酷な空間に「住まわされている」意味を察せられない人間ではない。
「ここが女神降臨の地だからだ」
「さっきフィリクスが話してた、いろんなところにあるって言う」
 言って、サイはフィリクスを見やる。少し前のことなのに、もう一日立ったような気がしていた。
「それが朝のことなのよねえ」
「もう昼か、あっという間だったな」
 ハーンドがぶつぶつ文句を言っている。それをフィリクスがなだめようとして、雪に足をとられ、こけた。どすっと落ちた音はしたが、見える辺りにフィリクスの姿は見当たらない。その代わり、フィリクスとハーンドが雪をかき出して作った穴からうめき声が聞こえる。どうやらこけて穴に落ちたようだった。
 フィリクス(幸運)という名前の割に、ずいぶんと運の巡りの悪い男である。
 ハーンドは呆れたように大丈夫かよ、と穴の中のフィリクスに声をかけた。それに中のフィリクスが、頭をさすりながら応えた。
「どうにかね。……君たちも降りておいでよ」
 フィリクスの目は、真っ直ぐサイとトッドに向けられていた。サイはちらりとハーンドを伺った。途端にひどく睨まれて、早く行け、と怒鳴られる。ハーンド(猟犬)という名前に納得してしまうような態度だった。
 穴に滑り降りたのはトッド、サイ、ハーンドの順だった。
 そこは遺跡というよりも、横長に広がる採石場か、洞穴のようなところだった。
 フィリクスの先導で、一列になって奥へと進む。ここは地下で、明かりがささないはずなのに、誰もランプを持っていなかった。それもそのはずだ。洞穴の壁が淡く発光しているので、暗いはずのそこは昼間のように明るい。
「すごいな、壁一面飛空石だ」
 トッドが感嘆の声をあげた。それを聞いて、サイはこれが全部? と間の抜けた声をあげた。
「そう、壁に埋まって光ってんのが全部飛空石さ。集会所で言ってたろ。『光石』って」
「そっか、光るから『光石』なんだ」
「そういうこった」
「でもなんで知ってるの」
「それは僕も興味がありますね。ノルンの方言なんて、そうそう外に漏れるもんじゃないから……」
 母国語で話していた二人の会話に、フィリクスが首をはさんだ。
 前後からの期待に、それでも足を止めず、トッドがあるだろ、漏れるところ、と切り返す。その様は弟妹をなだめすかす兄のようだったとハーンドはのちに述懐する。
「俺は造船士だからな、飛空石のことも知ってなきゃなんねえ。で、大体のことは自分で調べたんだが、『光石』って別称のことだけはアルファードから聞いたよ」
「兄さんが」
 それを聞いて、フィリクスは黙り込んだ。その間も一行は進み続ける。そうしてどれぐらい進んだだろうか。フィリクスが唐突に口を開いた。
「兄さんがそんなに親切だなんて、なんだか、天変地異の前触れに思える……」
「お前はアルファードを何だと思ってるんだよ」