あなたの知らない上羽幌ガイドツアー






2023年6月、道北の羽幌町、 上羽幌炭鉱 跡を巡る探索ガイドツアーを開催。
参加者は21名、女性が8名と盛況だ。
そして最も遠方からの参加者は岡山県からの参加だ。 ミーティング

まずは羽幌町内に集合後、各自、炭鉱跡地へ移動。
装備を整え簡単なミーティングの後、
浄水場 付近から探索をスタートする。 出発


昭和42年に近隣の奥羽幌と統合した浄水場に到達だ。
内部は狭く、危険個所も多いため、
2班に分けての探索だ。 浄水場


計画給水人口 3,600 人、取水から沈降分離装置、
急速ろ過池などの機構を説明後、
自由時間を設ける。 浄水場


凝集剤の撹拌装置や当時の設備が色濃く残る。
みなさん譲り合って写真撮影に余念がない。
今回は時期的に少し藪が元気な季節となってしまった。 浄水場


snsでは繋がっているものの、
お会いするのは初めてという方も多い。
それら顔合わせもガイドツアーの醍醐味だ。 浄水場


少し移動して巨大な貯炭場の廃墟に到達だ。
選炭施設を持たない上羽幌坑は、
ここから羽幌本坑まで2.9km間を索道で接続した。 貯炭場



貯炭場の下部も探索する。
事前にお配りしたチラシには運用当時の写真の掲載した。
ある範囲で自由に探索していただく。 貯炭場


自由時間は三脚を設置して本格的に撮影開始する方々や、
数名で談笑している方々もいらっしゃる。
ヒグマの出没に備えて奥部への侵入はキャンセルした。 貯炭場


炭田の分布や築別、本坑、上羽幌の歴史について解説する。
閉山から約50年以上経過の遺構、
木製部分も一部残存している。 貯炭場


数百m移動する。
野生のウサギに出会ったり、静かなバス停留所があったり。
日常とは違う、自然の中の探索だ。 移動

人の気配の無い炭住街の探索だ。
ドアや窓、瓶や皿など生活の痕跡で声を上げる参加者もいる。
休憩も兼ねて、ここでは少し時間をとる。 炭住街


終戦後の昭和20年(1945)、
付近の人口は80名足らずであったが、
昭和35年(1960)には445戸、2,110名と爆発的に増加した。 炭住街

一旦街に戻り、予約していた会場で昼食だ。
いつもガイドツアーでは地方での大人数が影響するので、
探索に専念できるように昼食場所を確保しているのだ。 昼食


昼食後は羽幌本坑に移動。
運搬立坑周辺の探索を行う。
選炭場、繰り込み所、鉱員浴場、立坑が集約された場所だ。 本坑立坑


いい石炭と悪い石炭をより分ける方法を解説。
ここ選炭場は幾何学的な建物だ。
ここでもかなりの自由時間をとる。 ジグ選炭


選炭場は足元に十分注意しての探索だ。
苔むした廃祉、有名な場所だ。
昭和40年完成、昭和45年の閉山に伴い運用停止。 選炭場


立坑手前にある選炭工場を探索する。
主選機は 「タカブジグ」 200t/時の選炭機が装備されていた。
ここで原炭を選別し、粒度を揃えて不純物を除去、市場性を高める工程だ。 選炭場


選炭工場屋上から立坑を俯瞰する。
高さ39.34m、直径6.0m、巻上深度512m。
当時の価値で17億円の工費を投じて建設された立坑だ。 屋上


選炭用の水槽を見る参加者たち。
繰込所・安全灯室・更衣室・浴場・ 「捜検」 ・保安教室など、
付近には施設が犇めいていた。 水槽


タワーマシン型の立坑の裏手に回る。
青空にそびえる39mのタワーだ。
雨の後は屋上に残る水面に反射するタワーが見られる。 マウスon 雨の後 


その後、立坑跡 付近を探索し無事ガイドツアーを終了した。
今回は獣害に備え、当初の予定を大きく変更したため、
奥部の案内は控える形となってしまった。 立坑櫓


参加の皆様、お疲れ様でした。
また、大変ありがとうございました。









参加者
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