蒸気から電気への変革
美唄市の一ノ沢から七号ノ沢に及ぶ南部丘陵地を望む。
ボイラー跡の煙突を含み、今回探索の落合の沢上流域から
炭鉱施設が麓のこちらに移転したのは昭和8年頃だ。
落合の沢方面へ林道を遡る。
付近の谷にはかつての大幹線があったはずだ。
まずは通洞を目指す。
新しい砂防ダムの奥に、
現存する2連の奥沢通洞である。
詳細は全身の光珠炭鉱である。
昭和38年密閉の坑口。
下部からは硫黄臭を含んだ鉱水が多量に流れ出ている。
ここから変電所跡に向かう。
途中には軌条が泥に埋もれている。
9kg級の鉱山軌道のレイルだ。
坑口からの電気軌道の跡だろう。
坑口から1キロ弱で変電所跡に到達した。
かなり大きな施設で、
昭和初めの雰囲気がある。
木製の窓枠も残存している。
風雪に耐えよく残ったものだ。
内部を探索する。
内部は一部屋根が抜け落ちている。
荒廃は激しくなってきた。
2階部分もある。
心もとない階段を登り、
2階を目指す。
変電所ならではの遺構はまだ出てきていない。
三相の碍子がある。
ここで送電の際の電圧低下か電流増大を監視していたのだろう。
坑内の機械化も併せて進められたようだ。
壊れた窓からは初冬の景色が見える。
当時、坑内にチェーンコンベアや巻上げ機も
電化の上、導入された。
変電のメイン施設は意図的に壊されたようだ。
高価な変圧器などを搬出するのに、
壁をくり抜いたのかも知れない。
鉱員詰所や休憩室のような、
小部屋も多数ある。
どの部屋も荒れるに任せた状態だ。
意図的に壊されたらしい壁が痛々しい。
鉄筋がむき出して
コンクリート片がぶら下がる。
裏側は比較的構造を保っている。
碍子が林立し、
やはり工業施設らしさがある。
再び内部を抜ける。
碍子が大量に捨ててあったり、
施設としては巨大なものだ。
ガラス窓の枠にはすでにガラスは無く、
夥しい蔦が巻き付いている。
自然に還ろうとしている。
付近には新選炭機のあった積込場がある。
かなりの藪に埋もれているが、
ここが運搬用大幹線の始発駅となる。
実際には坑口工場とホッパーが組み合わさった施設だが、
その巨大さは築別をも凌駕するかもしれない。
細部を見てみよう。
川向には光珠炭鉱時代の切羽の払い面が残る。
100mに及ぶ長大な壁に拡大された。
流石に向こう岸には渡れない。
ホッパー内には巨木が育つ。
およそ45年の年月が感じられる光景だ。
この向こうは断崖だ。
積込場も巨大なものだ。
ここから2,033mの大幹線が美唄市内に向かっていたのだ。
ここに大型電車が並んでいたとはもう想像さえ出来かねる。
ホッパー内部から頭上を見上げると、
そこはそびえる巨大なものだ。
幾何学的な風景が広がる。
ホッパー付近から坑口工場方面を望む。
昭和3年から3年間に約220万円の設備投資がなされ、
それは美唄町の年間歳出の10倍相当額であった。
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