ダンス好友会/写真同好会/築炭茶道会
羽幌町は札幌から北へ180km、さらに130kmで稚内市となる日本海側の街だ。
シベリアからの季節風の影響で、通年風が強く吹く。
アプローチは
本坑運搬立坑
からも離れた山中がスタートとなる。
火薬庫は鉱床図に記載されないことも多い。
火薬庫までは自動車道が敷設されていたはずだが、
付近に痕跡はなく、ほぼ廃道状態だ。
延々と山中を進むと人工的な一角に出る。
これは土盛り、火薬庫を囲う土堤(どて)かもしれない。
土堤を乗り越えると火薬庫の現出だ。
小ぶりな建屋はほぼ水没し、屋根がない。
火薬庫には主として取り扱う爆薬量により、
一級/二級/三級/実包/煙火/導火線庫などの規定がある。
またその貯蔵火薬の種類と量により、
火薬庫の壁からの保安距離という安全距離を確保することとなっている。
土提についても細かな規定があり、
高さ、出入り口の向き、
勾配とすべてが火薬類取締法に記載されている。
小さな火薬庫の隣には、
一際大きな棟の火薬庫がある。
大きな棟が火薬庫で小さな棟は火工所かもしれない。
火工所は導火線や雷管と火薬をセットする場所で、
また雷管庫や導火線庫などの可能性もある。
基本火薬庫に窓は設けられないが、
設置する場合は火薬庫の大きさに順じ、
直射日光による暴発と盗難を防止する措置を講ずることとある。
昭和35年当時の羽幌築炭には、
築炭
78名、
本坑
82名、
二坑
73名と、
合計233名の幼稚園児がいた。
それだけの人口を抱えた羽幌築炭には様々な娯楽会が存在した。
築炭琴友会、ダンス同好会、生花池の坊、珠算教室など、
それらは多岐に渡った
火薬庫から少し離れた山中には一本の廃道がある。
付近は索道による運炭だったためこの道は軌道でもなく旧道のようだ。
明確な路盤跡を追って進む。
現在は道道が別ルートをバイパスしている。
やがて廃道は閉鎖された隧道跡に接続する。
昭和44年、付近は人口11,802名に及ぶ。
今は山中に静かな遺構だけが残る。
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