2年間の選鉱施設
4月中旬、アプローチからヒグマの足跡である。
幅が9cm以下が一歳未満、15cm以上が雄、
これが一つの目安となる。
残雪の廃道を進む。
選鉱所には必ず作業道があるはずだが、
それはかなり後半に遭遇することとなる。
標高を上げる前の段階で水槽に到達した。
選鉱用の水槽にしては小型だ。
森を進むと水流の轟音が聞こえる。
その音源は大きな崩れた崖となる。
崩れた崖の中腹には隧道が見える。
そこからは轟音と共に大量の水が流れ出ており、
崖の上部にはコンクリート製の遺構が見える。
隧道は川の水をバイパスするための疏水坑だ。
恐らく選鉱所の基礎を保護するために転流坑を採掘したようだ。
疏水坑は排水・運搬・通路を目的とした隧道で、
坑道内に溜まった水を排出するのも疏水坑と呼ばれる。
100m程度奥には坑口の明かりが垣間見える。
尾根沿いに回り、大きく迂回して浮遊選鉱所に到達した。
昭和18年完成、200t/月の処理量を誇り、
破砕→摩鉱→一次浮選→沈鉱→二次浮選の工程を行った。
本鉱山の発見当初は金鉱として開発された。
やがて産出量増加と共に自山の製錬所を設けたが業績は振るわず、
休山となった。
その後廃石の確認を行うとマンガン鉱が残っており、
再び企業による鉱山の買収が行われ操業を開始した。
当時、第一次大戦の影響によりマンガンの特需が発生した
ここは最下層1段目の基礎、
おそらくオリバーフィルターが設置してあり、
液状になった鉱物と水と鉱滓を分離する場所だ。
オリバーフィルターは真空吸引式ポンプで減圧した筒内で、
下部から回転するに従い、洗浄→脱水→乾燥→個体剥離→液体沈降を繰り返し、
泥状物質を濾液とケーキと呼ばれる半固体に分離する装置だ。
マウスon オリバーフィルター断面
金山としては休山状態にあった本坑は、坑道もつぶれ荒れ果てていた。
坑道内からの水が噴出、その中に坑木や部材の破片が散在するなか、
真黒なマンガンの沈殿物が木炭のように堆積していた。
下から2段目はデンバー型浮遊選鉱機の配置。
空気は送り込まずに泡の中で浮く鉱物と沈む脈石に分離させる。
当時、止まることなく流れる鉱水の中に多量のマンガンが沈殿するということは、
この鉱区内には多量のマンガンが埋蔵されていると認識したという。
帰社した担当者の度重なる会社への直訴により、
原料鉱山としてマンガン鉱を開発することとなる。
現地には堆積した廃石が3,000tありここにはマンガンが多量に眠っている。
標本分析の結果含有量は52%に及び、十分採算ベースにあること。
これら着眼と熱意により鉱山の買収に至ったという。
下から3段目。
やがて旧坑付近にマンガンの鉱脈が発見され、
廃石に搬出と共に順調な滑り出しだと思われた。
金の輸出解禁と共に外国産のフェロアロイ(フェロ(ferro)鉄、アロイ(alloy)合金=合金鉄)
が安価に輸入されるに至り
鉄への添加物であるマンガンの需要は激減する。
下から3段目、4段目、5段目はアジテア型浮遊選鉱機のエリアだ。
粗い粒度の鉱石を担当し、薬品の水槽の中で選別を行う。
水槽内には鉱物と共にエアーを吹き込み、
大量の泡と一体となる鉱物が浮き上がり、
これがあふれ出すことで回収を行う。
浮遊選鉱の要は使用される石鹸液であり、これによって発生する泡がいつまでも消えず、
選鉱場内が泡だらけになることもあった。
適度なところで消滅する泡、これの研究に時間が費やされた。
デンバー型浮遊選鉱機は細かい粒の選鉱に使用される。
撹拌しながら特殊な浮選剤を使用し、形式上はアジテア型と類似している。
捕集剤が付着したマンガン鉱は水槽内で浮き上がり、
それを回収することで元品位14%から35%に上昇する。
一時的に下火となったマンガン鉱山であったが、二酸化マンガン製造、
その後の満州事変勃発により、中国からのマンガン鉱石対日輸出禁止により、
国内のマンガン鉱は再び日の目を見る。
世界的な軍需景気によりマンガン鉱の需要はさらに増加し、
昭和16年には日独伊軍軍事同盟締結により、イギリスからのマンガン鉱輸入が途切れることとなり、
マンガン鉱山は国宝級の存在となる。
6段目から上方には巨大な貯鉱ビンが見える。
索道で運ばれた鉱石が粉砕後、この貯鉱ビンに蓄えられ、
必要量の粒が数多く並ぶ浮遊選鉱機に配分されたようだ。
下から7段目の貯鉱ビン。
コンクリートが剥がれ、鉄筋がむき出しだ。
貯鉱ビン下のホッパー部には排出された粒のマンガン鉱が残る。
粒は既に固まり、一体化している
貯鉱ビンの壁には散弾銃の跡が残る。
ハンターが試し打ちを行ったのだろうか。
8段目には水槽がある。
ボールミルやロッドミルによる摩鉱が行われていたようだ。
『ボールミル』は直径がは1.2m〜5mのものもある。
直径50〜80mm程度の鋼球を使用し、複数のミルで粉化の強弱を調整したり、
鋼球の大きさで粉砕力を調整したりする。
対してもう一方がこちらの『ロッドミル』。
ボール(鋼球)の代わりに円筒の内面長にほぼ等しい長さのロッド(太い鉄棒)を使用し、
ロッドミル同様に回転にて内部の鉱石を粉砕する。
8段目と9段目の斜面には、
鉱石を転がす坂がある。
破砕した鉱石を落として運んだようだ。
ここにはコーンクラッシャーやジョークラッシャ―が設備され、
機械的な反動を用いて鉱石を大割していたようだ。
10段目には再び大塊用の貯鉱舎がある。
ここが選鉱所の基点、
最上段のスタート地点となる。
こちらの貯鉱舎は転がりにくい大塊に対応してか角度が急である。
そしてこの貯鉱舎とよく似た形状の施設を見た覚えがある。
それはあの沼田の昭和炭鉱
の4q奥地、太刀別炭鉱
だ。
この急角度は恐らく索道からの搬出鉱石に対応したもの、
ここまでは鉱区から索道があったようだ。
こちらが太刀別炭鉱、索道基点側貯鉱舎である。
炭鉱と金属鉱山、会社も全く異なるのに、
機能を高めると形姿が酷似するのかもしれない。
最上段の貯鉱舎の上に残る重厚な施設。
なぜかかなりの応力に対応する縦リブが入っている。
内部には小部屋があり、
そこには神棚が残る。
小部屋の床には別の基礎があり、
配電の設備もある。
資材の棚と地下に向かう穴がある。
恐らくここは『緊張所』。
索道の終点で、ワイヤーを張るための錘をぶら下げた場所のようだ。
これが緊張所建屋の外観で雪の平場の脇にある。
この建屋だけが選鉱所とは角度が異なる方向に建設されており、資料には索道の記述もある。
そして付近には冒頭の作業道が辛うじて確認できる。
浮遊選鉱は銅→鉛→亜鉛→硫化鉄鉱→マンガン鉱の順で回収され、
珪酸ソーダやオレイン酸を選鉱剤として使用し、pH9.5に調整後、抑制剤や捕集剤を添加する。
選鉱所敷地は67,180坪、建物2,628坪との規模だ。
浮遊選鉱所の少し下った場所には煉瓦製の煙突がある。
通常、選鉱所に煙突は付随しない。
マンガンは鋼の性質向上のため20〜45tの鉱石を600〜800℃で
48〜70時間加熱することで品位が8〜12%向上する。
これは『焙焼』と呼ばれるがこの規模の煙突では役不足だ。
これは恐らく脱水のための煙道。
選鉱後の精鉱は脱水しても水分20%を含み、輸送も不便であった。
これを解決するために、
選鉱後の鉱石と焙焼後の粉末を混合して豆炭型にすることで対応したのである。
従来はマンガン含有25%以上の鉱石のみ選鉱しており、低品位鉱は廃石として処分していたが、
軍需の要請もあり、これら低品位鉱も浮遊選鉱の対象となった。
寒冷地でも能力を発揮する捕集剤を研究し、水質やその硬度の選定もされた。
鉱粒の大きさも高品位鉱が60メッシュに対し、
低品位鉱は100メッシュ以下とより細かい方が成果が高い研究成果もあった。
より低位品位鉱の選鉱が要求された軍需背景の中、浮遊選鉱場が完成したのは昭和18年。
そして昭和20年8月には運転停止となっている。
これだけの規模の施設でありながら、たった二年間の稼働である。
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