昭和炭鉱跡 探検: 北の細道

こうもりの棲む隧道に潜る




北海道留萌地方
かっては空知地方、羽幌地方とともに黒ダイヤを産出する一大炭鉱街であった。
自然地形を生かした良港とともに運炭の利便性もさることながら、硫黄分が少なく良炭で、
しかもその埋蔵量は2億3千トンと推定され 一大炭田であった。
明治20年頃に調査が施工され、大正15年当時、第二期北海道拓殖計画の中、留萌鉄道が敷設され、
戦後まで国内産業のエネルギーの担い手としてその一端を請け負った。

しかしエネルギー革命の昭和33年代になると、出炭量は激減し合理化が進められた。
後の昭和43年11月20日、雨竜坑は閉山し続いて、昭和44年4月30日、明治鉱業昭和炭鉱は合理化の甲斐無く、
ピーク時3.800人の炭鉱街を山中に残し終焉を迎えた。。


水没、こうもり、廃隧道・・・


ある秋の日、この山中を探検した。
事前に昭和30年当時の国土地理院5万分の1地形図を入手し、現在版にプロットし現場へ持ち込んだ。
下流の浅野炭鉱は、現在ダム湖の左岸に位置し水没の可能性もある。
ここは可能な限り探索し、軌道を遡り山中の炭鉱街の探索をメインとした。


昭和炭鉱アパート
( ̄u ̄;)山中深くに残るアパート郡の廃墟



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