ピケットの此後

天売島・焼尻島の夫婦島を望む羽幌町。
夕暮れにはきれいな夕日を眺められる海岸沿いの街だ。
サンセットビーチという観光地もある。 夕日


上羽幌鉱区から更に山中。
アプローチは荒れた廃道だ。
ここから標高を上げる。 アクセス

谷間に隠れるように存在する遺構。
標高70m付近、
恐らく目的の旧排気立坑跡だ。 遺構


かなり古い建屋だ。
羽幌二坑は海抜82mに坑口を設定し、
本斜坑560m(昭和32年7月現在)、そこから南北に1,500mの区域を操業していた。 排気立坑


二坑(上羽幌坑)の主要排気系統は本斜坑を主要入気坑道として、
本斜坑より左右それぞれ約800mの稼行両端に排気坑道を設けて、
各扇風機25馬力を使用して待遇式の排気を行っていた。 扇風機室


これは扇風機の動力室のようだ。
昭和31年以前の排気風洞施設、
劣化が著しい。 排気風洞


内部には木製の遺構も残存しているようだ。
コンクリートは一部剥がれ落ちている。 崖


建屋内部には木製の棚のようなものが散乱している。
部品棚か電気関係の装置が陳列してあったのかもしれない。 木製棚


苔むした窓。
建屋の厚みが大きく、
振動や風量を伴う扇風機室ならではのようだ。 窓


建屋の北側には円形の穴があり、
レンガで巻かれている。 
ここが排気の通り道のようだ。 煉瓦


鉱区が深部に移行するにしたがって、
後退式採掘法を採用するため、旧排気立坑は廃止、
中央式排気竪坑の建設計画が施行された。 排気立坑


新排気立坑を目指して標高を上げる。
予定ではここから39m上部、本斜坑の27m上方、
標高109mの山腹地帯の立坑敷地に向かう。 登坂


少し登ると平場があり、
水槽らしき人工物が残る。
ここは社宅などの跡のようだ。 水槽


社宅跡の下部には神社らしき跡がある。
羽幌神社は大正13年6月11日、
神社社格の一つである郷社に列した。 上羽幌神社


明治9年創立の羽幌神社から、
合祀として独立した上羽幌神社の廃祉だ。 羽幌神社


上羽幌神社から離れると、
建物の基礎のような土台が点在する。 基礎


更に登ると小さな小屋がある。
これは炭鉱施設というより、
上水用の施設のようだ。 水道施設


建屋内部には深い水槽があり、水で満たされている。
底部には水中ポンプがあるのかもしれない。
上羽幌浄水場 関連の配水池に関する遺構のようだ。 上水施設


ここからは一気に標高を稼ぐ。

入気坑道を兼ねた本斜坑が深部発達のために延伸されると、
通気坑道の維持長が増大し、ガス湧出の懸念も増えることとなる。 登坂


登りきると小屋とバルブの遺構がある。

昭和31年4月、坑道延伸の排気効率解決策として
通気系統の根本的改善を目的に新排気立坑の開墾が計画された。 配水池


これは排気立坑でなく水道関連の配水池の遺構だ。
配水池 は浄水場で浄化された水を一旦、山の上のタンクに移送し、
配水量と給水量のバランスを司る施設だ。 配水池


これは手動開閉台、足下は深い水タンクだ。
地下埋設のバルブやゲートの開閉操作を、
地上からこのハンドルを回して行う装置だ。 手動開閉台


奥の小屋内には漏電ブレーカーがある。
ポンプが稼動していたようだが昭和30年代の遺構ではない。
上羽幌浄水場は昭和45年頃にも稼働していた履歴がある。 板巻鋼管


更に登ると予想地点で巨大な遺構に遭遇だ。
羽幌鉱業所 二坑 排気立坑に到達、
旧排気立坑に変わる新立坑だ。 排気立坑


排気立坑の工事は昭和31年4月より準備工事に着手、
6月から本体工事、風洞及び扇風機機械室等坑外設備工事が12月末に完成、
深度185m、海抜−77mへ連絡する竪坑の完成に至った。 排気風洞


坑口位置の決定条件は南北両区域の中央付近であること、
連絡坑道に近く通気抵抗を減少させること、
採炭終了か所を通過するためその保安に配慮できる場所とされた。 風洞





風洞に接続する扇風機機械室。

排気立坑は円形コンクリート巻、深さ185m、竪坑径2.5m、
掘墾径3.1〜3.3m、仕上げ断面4.9m2、壁厚30cmとされた。 扇風機機械室


扇風機室の入り口には、
鋼製の重厚な扉がある。 扇風機室


扇風機室内部には電動機や電装品の基礎が残る。
扇風機はシロッコ型のもので風量は630m3/分の大型のものであった。 マウスon シロッコ型


床の土台はシロッコ型扇風機の基礎だ。
奥の円形のフェンスは風洞への異物巻き込み防止のガードのようだ。 扇風機基礎


電装に注意書きが残る。
『危険に付き端子板結線に手を触れるな』
『リングアース結線』 電装


排気立坑の開墾は排水ボーリング無しで発破掘進であった。
15mを一ステップとして掘墾と築壁を交互に行う方式であった。 窓


開墾には坑口上部に4本柱、高さ15mの櫓を立て、
直径780mmのヘッドシーブ(滑車)使用、
巻上機は37.5w、鋼索張力1,800kgのもので土砂を排出した。 坑口


キブルと呼ばれる掘削ズリ、コンクリート運搬用の搬出容器と
スカッフォードと呼ばれる吊り下げ足場台を上下させ、
土砂用のエレベーターとして作業した。 機器搬出口


キブルは750o径、重量350s、スカッフォードは一段式の直径1,980o、重量300sのものであった。
堀墾工事は三交代24時間で行われ、地層は予定より湧水が多かったものの
地下水は坑内に集水した。 風洞


工事中は自然通気によったが、途中40m付近でガスの湧出があり、
2日間の発破禁止が発生したが、その間もピックによる掘削が進められた。 扇風機室


遡ること昭和25年、鉱業所の780名は築別炭鉱労働組合を結成していた。
組合は労働協約、割増賞与金などの関係を中心に経済問題での会社側への要求を行っていた。
短期間のストライキは発生していたものの、団体交渉にておおよその妥協の見通しがついた状況であった。 風洞


ところが、9月になると会社側は組合の主となる3名を解雇、生産阻害者として馘首したのである。
これにより組合側は一転、経済的理由に追加して該当3名の解雇撤回を理由とし、
無期限のストに突入する。 水槽


坑口浴場の廃墟である。

ただ組合内部でも意見が分かれ、一部分裂も発生する。
3名の復職には至らず、分裂した中で会社側に再雇用される元組合員が発生、
採炭は続行され、断固反対する組合員達が解雇される可能性へと続く。 坑口浴場


そこで起こったのが『羽幌炭礦事件』と呼ばれる、逮捕者までもに及ぶピケット事件に発展する。
ピケットというのは「杭」 バリケードの意味で、
労働争議の際、事業所・工場の入り口などを固めてスト破りを見張ることだ。 浴場跡


9月30日から3日間、5名の組合員と関係者が坑口付近の軌道に座り込み、
電車の運行を阻止した。
この5名は司法により逮捕、ピケット権による判断の是非の中、有罪が確定する。 浴場


その後、組合側と会社側は団体交渉を行い和解、
争議終結となりストは回避に至る。 ドライブプーリー


この長期大抗争後は労組側と会社側の友好な関係が築き上げられ、
その後はストも回避され合理化と採炭効率の上昇が得られることとなる。 索道基点






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