若鍋炭礦跡 探検: 北の細道 若鍋炭礦跡

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北海道夕張市

 北炭平和坑の前身、 若鍋坑は 明治32年に北海道庁地理調査班によって発見された。
その後、明治39年(1906)になってから谷新夕張炭山 第二坑として開発される。
大正3年(1914)には第三坑開坑、ところが昭和5年には一旦閉山を迎える。

若鍋(わかなべ)の坑名は冷水山=ワツカナムペ・ヌプリを所以とし、
アイヌ語で冷たい川の山を語源とすると言われている。

当時の各坑口の変遷をまとめると以下となる。

  最終坑名    旧坑名    開坑    廃坑 
 琴平坑  西一〜二番坑  明治40年2月  昭和5年10月
 八坂坑  東二番坑  明治40年2月  昭和5年8月
 住吉坑  西新坑  大正5年5月  昭和5年10月
 平安坑  南坑(三坑)  大正3年3月  昭和元年12月


若鍋沢川の上流約2kmの地点が新夕張第二坑と呼ばれた若鍋坑であり南部に第三坑が開坑された。
この三坑は後に平安坑となり昭和元年(1926)に閉鎖、
その炭層を昭和11年(1936)から再開発したのが平和坑となる。

爆発事故が相次いだ若鍋坑の『鍋』が火を連想させるといって
大正3年の爆発事故以後、『若菜辺坑』と改称した上、
〜番坑が混乱を招くとの見解でそれぞれ夕張坑は河川名、
新夕張坑は日本三景、真谷地坑は樹木名、幌内坑は滝名、
空知坑は港湾名など水に関連した名称と変更されたのは炭鉱ならではのエピソードだと思う。

今回は廃道探索チームで著名な 44ヤマグチ様 との合同探索と相成った。

最奥の八坂坑を目指して春のヤマを歩いてみたいと思う。


平和坑
平和鉱業所


温泉・シックナー・扇風機室・・・



日吉温泉
日吉温泉





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