蔵王鉱山跡 探検: 北の細道 大揚鉱山

蔵王鉱山で火災の爪痕を想う



山形県上山市

   北海道の西南部から東北地方にかけての背稜を形成している那須火山帯は、
「第三紀」 地質時代区分で白亜紀と新生代の間、6600万年前から258万年前までの時代 から現在に至るまで激しい火山活動の舞台であった。

この地帯には 松倉鉱山熊泊鉱山をはじめ 多数の硫黄鉱床が発見されている。
それらの一部は現在なお活動中の硫気孔に伴う昇華鉱床、過去に活動した湯沼などの沈殿鉱床、
火山噴出物中の塊からの交代鉱床などが含まれている。

蔵王(ざおう)山主峰熊野岳の西領斜面中腹に位置する蔵王鉱山は、
明治維新前後から小規模な採掘が進み、大正5年(1916)に蔵王山硫黄合資会社を買収、
資本金50万円をもって蔵王鉱業株式会社が発足した。

しかしながら第一次大戦後の不況に伴い、15年間の休山を迎える。
その後の軍需景気により化学繊維の高需要が発生、
昭和11年(1936)に再開、3年後には年間生産8,447tを記録する。

その後、大日本製糖株式会社が台湾の亜硫酸法製糖の原料自給の目的で経営権を掌握したが、
再び第二次大戦の長期化による生産抑圧が起こる。

その後、戦後になって化繊パルプの活況から硫黄の需要が増大、
一方食糧緊急増産の一環として肥料工業の増産が叫ばれ、
昭和22年(1947)からは硫化鉱の売鉱が加速、日東化学工業株式会社が経営に参賀、
昭和38年(1963)の閉山まで、企業の近代化と設備の拡充が行われた。


今回探索する鉱山跡の標高は1,250m付近とかなりの高さだ。
通行止めゲートからは片道約5qの徒歩を予定している。
閉山に至る理由と共に蔵王の遺構を調査したいと思う。

重要鉱山・乾燥・焼取製錬・・・




積込設備
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