熊泊鉱山跡  探検: 北の細道 熊泊鉱山跡

熊泊鉱山で酒瓶を見つける




北海道旧南茅部町

  明治42年3月、磯谷川上流の熊泊鉱山の住宅街を襲った大雪崩と土石流は大惨事を惹起した。
雪解けの融水が夜半、安眠中の人家を飲み込んだ。
本格的な採掘と経営が軌道に乗ったばかりの鉱山集落は145人の人口で、
戸数34、家屋41棟、理髪店もあった。

死者31名、笹小屋造りの11棟の家屋が倒壊、
崩落個所の右に一大亀裂が見られ、 二次崩壊の危険性さえあった。
数日前には鉱山神社の御神体が鳥居とお宮の間に脱落していたことから、
後日談として、山の神が事故を予見していたのではないかとの憶測が飛び交った。

主原因としては鉱物採掘によって地層の陥落を招いたこと、
山麓の自然林を坑木・燃料のために伐採したことなどが遠因とされた。
しかし数年前から付近には大きな亀裂があり、度重なる氷結により大崩落へと相成ったと考えられた。
このことにより熊泊鉱山は明治42年3月、一旦廃坑となる。



明治30年代に入ると、国内産業の活発化に伴い、
鉱山採掘の特需をもたらすこととなり、幕末に採鉱をみた道南地方にも、
諸々に再開発の手が伸びて、一挙に活況を呈してきた。

袴腰山(1,108.3m)に源を発する磯谷川の上流に位置し、
明治36年に発見された本坑は、前述の明治42年には一旦廃坑を迎えるが、
再び開発が成され、一〜五番坑、畳番坑・萬盛坑・渡し沢坑など多くの坑口が開発された。

最盛期である大正の初めから14年までは磯谷川の上流に100戸の市街地があり、
大正9年には本村に先駆けて発電所が建立され、鉱山地区だけが一足早く電気時代に突入した。
しかしながら昭和2年には再び、すべての鉱山集落が原野に還ることとなる。


今回は、これら惨劇をも心に留めて、今は無人の山中を探索してみようと、
初夏の熊泊山に向けて廃道を進む。







煉瓦・廃墟・温泉跡・・・


廃道
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