本岐炭鉱 火薬庫跡 探検: 北の細道 明治鉱業

本岐炭鉱で健保会館を訪ねる




北海道白糠町

   「水力採掘」とは高圧ポンプから発生した50〜150気圧の圧力噴流水を用いて、
その筒身の先頭についた口径20〜30oのノズルから水を噴射し
鉱石や石炭を崩しながら採掘する方法だ。

採掘した石炭は水と共に坑道内の輸送用トラフ(樋(とい))で流送し、
圧力水は浄水処理後、再利用する。
水力採炭の利点は炭塵や粉塵が少なく、火源と関係なく保安上も優れていることだ。

しかしながらモニターと呼ばれる高圧水噴射機などが必要で水力採炭は設備投資が高くなる。
また発破を併用して炭層をゆるめてから、水力採炭を行う方法が
生産能率を非常に向上させることが後の研究からわかった。

昭和36年(1961)から石炭技術研究所が中心となり、水力採炭の実証実験を
茶志内や茂尻などにおいて実施し、
各切羽への適応性などを研究し、ある程度の好成績を収めた。
ここ本岐炭鉱では完全水力炭鉱を目標とし、
掘進は平均4〜5m/方、出炭能率42t/日と新技術の興隆となった。

本岐炭鉱 は昭和11年(1936)開坑、昭和16年(1941)に 庶路炭鉱を経営する明治鉱業(株)の傘下に入り、
戦争による休坑後は昭和22年から採炭復旧、昭和36年(1961)からは庶路炭鉱から分離する。
昭和38年(1963)からは前述の水力採炭設備の一部が完成噴射を行い、
最盛期を迎えるかごとくであったが、昭和44年4月に閉山を迎える。

比較と整理のために庶路/本岐の来歴表を表示する。

鉱区史

疑問を持ったのは、庶路と本岐の閉山時期の差、5年間の空白と閉山に至る理由。
そしてもう一つはどうして安全性の高い水力採炭が他の炭鉱に水平展開されなかったのかということだ。

それら理由を模索しつつ、
鉱床に残るはずの変電所、火薬庫そして健保会館を顕在化してみたいと思う。

変電所、火薬庫、健保会館・・・




選炭場
選炭場





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