山に眠る赤褐色の堂舎



炭鉱施設が散発する二見澤付近からアプローチする。
今は設備の基礎しか残らない。
更に奥地を目指す。 アプローチ


万字炭鉱を終点とする国鉄万字線(万字軽便線)が営業開始したのが大正3年(1914)。
岩見沢を起点とする延長23.8qの間に 美流渡朝日 など10か所以上の炭鉱が栄えたものの、
各鉱閉山に伴い、6か所の駅と共に昭和60年(1985)に全線廃止となった。


アプローチから完全廃道だ。
等高線の緩やかな個所は事前に調べてある。
いつものように予備ルートを含め3か所の案をもって入山する。 アプローチ


しばらく登ると残雪がある。
4月の終わり、残雪で笹薮が押されてる状況を予想してのアタックだ。
ただ雪解けのこの時期は全層雪崩に注意だ。 残雪


火薬庫には必ず道があるはずだが一向に現れない。
恐らく別に予備想定したルートが本道で、
ここは傾斜だけで想定してしまった異ルートのようだ。 斜面


廃道の斜面をGPSに従って進む。
上部の斜面は人工的な雰囲気がある。
中央に谷間の道があり、もしかすると土堤(どて)かもしれない。 マウスon 土堤


土堤を登りきると眼下には煉瓦の建物が見える。
万字炭鉱、火薬庫に到達だ。
火薬庫は全部で3棟ある。 火薬庫


右端の火薬庫が一番小さく、
これは雷管庫かもしれない。
イギリス積みの建屋が残存している。 雷管庫


扉は既に無く、
妻も重厚に造られている。
床から階段があり少し高めに設置してある。 火薬庫


周辺には扉の様な部材が朽ちている。
厚みがあり
やはり防爆に重点が置かれている。 扉


屋根は抜けている。
火薬庫はもしもの爆発時に上部方向へ爆風が抜けるように
屋根が比較的薄く造ってある。 屋根


床下には通気坑を設ける規定だ。
屋根は鉄網モルタル等、耐火性は必要であるが
爆発の際に軽量の飛散物となることが火薬類取締法に謳われている。 床


裏側にも窓はない。
窓が設けられていないこととの規定もあり、
設置する場合は地上1.7m以上、鉄棒による格子が必要となる。 裏側


中央の火薬庫は比較的大きい。
窓もあり、
ここは火工所だった可能性もある。 火工所


こちらも扉は欠損し、屋根もない。
火工所は薬包に雷管を接続したり、
火薬の入出庫の管理も行う場所だ。 火薬庫


入り口上部には、扉を固定していた腕金が残る。
外扉が耐火扉である二重扉である規定もあり、
盗難を防止するための措置も必要だった。 扉


レンガは白く劣化している。
黒い部分も長年のカビかもしれない。
煉瓦製の場合の壁は20p以上が必要となる。 レンガ


左端の建物が最も重厚だ。
床の通気口、厚みのある扉の腕金と共通項も多い。
こちらは蔦が絡んでいる。


床を支える土台も煉瓦製だ。
内部にまで積雪している。
床は地盤面から30p以上の高さとする規定もある。 廃祉


煉瓦色と黒、白とコントラストが激しい。
レンガは外来語でなく日本語だ。
土を四角く固めて焼いたものだ。 火薬


煉瓦が赤いのは成分である粘土や砂の中に含まれている鉄分が、
焼き上げる時に酸化し変色して赤くなるからだ。
錆が赤いのと同じ原理といえる。 煉瓦


崇高な姿を放つ火薬庫。
炭鉱閉山から50年以上が経過しても、
隠れるようにその姿は色濃く残る。 火薬庫






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火薬庫
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