万字炭鉱 火薬庫跡 探検: 北の細道 万字炭鉱

万字炭鉱 火薬庫で土堤を超える




北海道岩見沢市(栗沢町)

   ある濃度のメタンガスに引火した場合など
その物質が急激にその体積を増大する現象を爆発というが、
その爆発を利用して物体を破壊する作業を発破/爆破という。

軍事目的をも含む全体のものが『爆破』と呼ばれ、
産業や学術研究の目的で行われるのが『発破』と分類されている。

発破には多数の種類があり階段式発破、MS発破など鉱山で使用される事も多い。
階段式は露天掘りの大規模鉱山などで施工、
MSは(Mill Sscond)の略で爆発順序を10〜50ミリセコンド(=1/1,000秒)ずつ
遅らせて爆発させる発破法である。
電気雷管やタイマーを用いることで、一回の爆発による
発破振動による岩石飛散を少なくしつつ
発破効果を下げずに、飛散岩石も細かく粉砕される二次的効果がある。


今回探索するのは、 万字炭鉱 に付随する火薬庫跡だ。

万字炭鉱の営業開始は明治42年(1909)に遡り、
北海道炭砿汽船株式会社が鉱区を譲り受け、
元持ち主の朝吹氏の家紋卍にちなんで万字と命名したのが始まりだ。
その後出炭は飛躍的に増大し、大正7年(1918)には年間出炭量34万tに達し、
北炭の鉱区の中でも優良坑としての地歩を占めて発展していく。

しかし戦後は戦中の乱獲と自然条件の悪化により出炭量は伸び悩み、
昭和35年(1960)9月、企業整備の一環として北炭より分離、
新たに万字炭鉱株式会社として発足した。

その後ますます劣勢を極めたエネルギー革命の流れの中で合理化が推し進められ、
分離直後の在籍1人当たりの月間能率16.2tからやがて47.3tに達し、
奥部開発の期待と共に開発が進んだが、昭和51年(1976年)に閉山を迎える。

炭鉱施設の中でも表舞台に現れない火薬庫。
鉱区の辺縁に存在したかつての施設を追ってみよう。

煉瓦・廃道・坑口・・・




大坑道
大坑道





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