炭鉱 浄水場跡 探検: 北の細道 浄水場跡

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 水を意味する『さんずいへん』の付く漢字は、
『沢』『海』『沖』『泥』『沼』『涼』『液』『湘』などとそれだけで400以上はある。

その持つ意味は『湖』や『洋』など広がりを意味するもの、
『浅』『深』と深さを意味するもの、『凍』『温』と温度関係、
『泣』『泡』など水の状態を表すもの、さらに『流』『滝』など動きを表すもの、
さらに色や景色などすべての『源』を表すものが『水』だと言える。

水は化学的に不思議なもので、その分子同士が引き合う力(=ファンデルワールス力)が非常に強力だ。
化学式『H2O』で表され、
その『H』と『O』が+と-である極性分子と呼ばれるもので構成されている。
この+と-が離れるほどその引き合う力は強く、
水分子は『双極子』(両極に分かれている)のため特にその力が強い。

この互いに水分子同志が引っ張る力、この原動力は静電気で、
水の表面張力が大きいのは、結合が非常に高密度なことが原因とされている。


炭鉱には町からの通勤という概念はなく、
採掘できる場所に住み、炭鉱付近にその城下町が作られるのが一般的だ。
そのため、石炭発見から炭鉱の稼働、炭鉱町の形成は一連で、
突如深い山中に大きな街が現出する。
そこには暮らしがあり、絶対的に必要となるものがこの『水』であり浄水場である。

本浄水場は昭和42年(1967)10月に工事着工され、
計画給水人口は3,600人、計画1日最大給水量は540m3
工事竣工(完成)は翌年の昭和43年1月、その直後、炭鉱が閉山し給水計画の見直しに迫られる。
それでも昭和47年(1972)から49年までに拡張工事が行われた。
その後、平成2年(1990)に新浄水場が完成するまで運用された経緯がある。


今回は炭鉱閉山後も宿存する市街地へ水道水を供給し続けた浄水場跡の探索だ。
築別浄水場跡閉鎖の昭和46年に対して、
平成まで稼働した浄水場の技術的進化も含めて見地していきたいと思う。




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四塩化炭素浄水場とは フロック形成池Pm浄水場



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