屏風の麓で


平成17年に生田原町は、丸瀬布町、白滝村、遠軽町の4町村の合併により、
新たな『遠軽町』としてスタートした。
生田原市街地の南方、清里が今回の探索の基点だ。 生田原


暫く進むと右手に高い崖がある。
屏風のように垂直にそびえる標高350mの奇岩。
かつては京都からの入植者が多数いたようだが、今はすべて離農したそうだ。 屏風岩


奥に進むと大きな人工池がある。
これは生田原貯水池、自然環境を重視した農地防災と
安定的な水資源を確保するための畑作用かんがい施設だ。 生田原貯水池


やがて道は一車線の林道になる。
生田原銅山は銅・硫化鉄鋼の鉱山で、
発見者は不明、大正末期には旭川の個人が鉱業権を所有してたという。 林道


一本の沢を遡る。
現在の標高は450m付近。
目的地は500m付近だ。 沢沿い


雪の積もる沢を登る。
昭和10年からの試掘で、
含銅品位27%の優秀鉱脈に着床する。 沢登り


左岸に坑道らしき亀裂がある。
立坑のような、非常に狭い割れ目だ。
内部を確認してみよう。 坑道



深さは2m程度だが明らかに人工的な掘削跡がある。
足元に注意して
内部に入ってみよう。 坑道


内部は如何にもの色合いの岩肌だ。
試掘も多数されたようなので、
そのうちの一坑かもしれない。 坑道内部


奥から坑口を望む。
生田原と言えば 隆尾共栄北の王 など多くの金鉱山が犇めいていた。
これらの各鉱山がかつての街を支えたのだ。 坑口


すぐ上流の対岸には別の坑口がある。
立入坑道(垂直下部に掘られた坑道)の記載も文献にはある。
単独行のため注意して入る。 坑口


独特の色合いの坑口だ。
川面とはぼ同レベルの高さなので、
水が流入しないか不安になる坑道だ。 坑口


坑道は低く屈まないと入れない。
回りの鉱石は石英脈に黄鉄鉱で、
赤く変色している。 坑道


坑道は4mですぐに90度右へ折れ曲がる。
黒い帯状の岩盤もある。
足元は少し泥が堆積している。 坑道


坑道は折れ曲がってすぐに行き止まりだ。
それ以上掘削はされておらず埋没した感じではない。
やはり足元は少し水没している。 終端


試掘で優秀鉱脈の発見に至ってからは、
日本鉱業鰍ェ昭和12年(1937)に買収、
本格的な操業となった。 坑口


再び沢に戻り、
上流を目指す。
鉱床図には内部で三又に分岐した坑道が描かれている。 登攀



かなり登ると荒れた平場がある。
人工的な雰囲気は余り無いが、
周辺を探索してみよう。 平場


脇には崩れた坑口のような一角もある。
埋没した雰囲気もあるが、
確証は取れない。 坑道


更に沢を遡ると、
左岸に道のような一角がある。
但し、造林のための道かもしれない。 道


付近には小さな沢があり、
雪が解けている。
地下からの水温の高い鉱水が流れているのかもしれない。 鉱水


水の流れを追うと、
やはりその奥の斜面には、
崩れた坑口のような場所があった。 坑口


崩れた坑口の前には氷柱が育っている。
昭和14年(1939)11月に戦時金属鉱業整備のために、
一旦休坑、昭和26年(1951)には鉱業権が放棄された。 氷柱


更に山中を歩いたが、坑口の発見には至らなかった。
昭和27年(1952)には再び試掘権が申請され、
採鉱も行ったが、翌年閉山と相成った。 鉱山跡






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坑道
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