苔の風門 風は何処へ


まずは雄別炭鉱の坑道模式図を見ていただこう。
一番下の緑丸が起点となる雄別通洞である。今回の目的地は黄色矢印付近。
しかしながらそこに坑口の記載は無い。 坑道模式図


正面が総合ボイラー煙突、
その左手が今は無きズリ捨てコンベヤー上家と選炭場だ。
今は原野と化している、この付近から入山する。 石勝線


奥に見える廃墟は協和会館、映画館の跡だ。
ほぼ壁しか残っていないが、
大変賑わっていたようだ。 協和会館


協和会館のすぐ裏手には隣接して協和会館別館がある。
ここには浴場があり、宿泊施設として営業してたようだ。
今で言うスーパー銭湯のようなものだろうか。 別館


その外れには丘に登る階段がある。
これは雄別神社に通じる階段だ。
付近には土俵もあり、親睦を深める施設だったようだ。 雄別神社


一段下部には基礎と束石が残る。
これは警部補事務所のようだ。
隣接してパン工場が存在した。 警部補事務所


婦人クラブ付近に残る木造の三角屋根だ。
付近には健保会館や、
雄別保育所の廃祉も残る。 婦人クラブ



付近の排水路に沿って登る。
ここからはルートは無く、
街を背に登攀する。 掘割


これは昭和42年(1967)頃の雄別市街地だ。
それまでの索道によるズリの運搬から写真のベルトコンベアーに切替えられたのが昭和41年(1966)。
探索のルートは黄色ラインとなる。 旧市街地


ここからは道なき斜面を一気に登攀だ。
水道施設を目指し標高を稼ぐ。
11月中旬というベストな時期は藪が無く探索しやすい。 登攀


標高140m付近には突然平場がある。
恐らく上水道関連の施設があったようだ。
今は平場しかなく、もう少し登ってみる。 平場


その上部にはRC製の水槽のような遺構がある。
アンカーボルトもあり建屋として覆われていたようだ。
これは貯水槽(受水槽)のようで、必要な浄水を一時的に貯める装置だ。 コンクリート


道のような鹿道のような廃道を進む。
時代的にもポンプで増圧せず一旦この受水槽に水を貯めて、
その水を更に上部の高層水槽に汲み上げる方式だったようだ。 廃道


突然太い林道が現れる。
道路としても50年以上経過しており、
短絡的に残っている。 道


太い林道は突然その痕跡を無くす。
崩れたのか雪解けや雨水による小規模な土石流などによるのか、
いきなり道がなくなると不安になる。 バルブ


道が無くなったので、GPSに従い枯れ沢を登る。
一見歩きやすそうな沢だが、登りはいいものの、
滝や断崖に遭遇するので下るのは危険だ。 沢


標高230m付近まで一気に登ると、
急遽、人工物が現れる。石垣だ。
他に施設は何もないが当時の遺構に遭遇だ。 楓炭山橋



目的の水道施設は尾根向こうのため、一気に斜面を超える。
標高差50mを距離90mで登るため、理論上は逆tan50m÷90mとなり、
その角度は29度だ。 斜面


尾根を越えるとまた太い林道がある。
地形図に載らない廃道だ。
これには沿わず交差して下る。 廃道


少し尾根を下ると、人工の建物がある。
深い山中に自然のその景色を破る遺構だ。
近づいてみよう。 遺構


遺構は大きな建造物だ。
階段や窓も見える。
しかし違和感がある。 廃祉


コンクリート製の階段だ。
手すりの方向がおかしい。
そして滑り止めのタイルの位置も不自然だ。 階段


サッシ枠の窓と穴もある。
この穴にはマンホールがあったようだ。
全ての方向がおかしい。 マンホール


この建物は土砂崩れかその他理由で転倒した建築物だ。
現在見える場所が本来の屋根部分で、
90度かそれ以上、斜面を転がったのだ。 転倒


これは井戸から浄水をくみ上げる上水道の取水施設か、
標高下の受水槽から付近の高置貯水槽に、
浄水をくみ上げる施設だと思われる。 取水施設


この高さまで汲み上げた浄水を、
ここからの標高差を利用して自然流下し、増圧ポンプを使用せずに、
市街地に供給したのだ。 石勝線


尾根を越えて中の沢沿いに下る。
道はないものの、開けていて歩きやすい。
付近には火薬庫や排気坑口も残る。 廃屋


大きく移動後、鹿鳴の滝付近から西へ進む。
ここ標高220mから進み、標高300mの風洞擬定地を経過して、
標高540mのピークを越えて 北進昇 に至る予定だ。 鹿鳴の滝


ルートは辛うじて道のように見える。
かつては車両も往来したはずの道だ。
小さな切通しもある道を登る。 廃道


足元の地中深くには雄別通洞と接続する堤沢通洞が走っているはずだ。
苔樋の沢に沿って登っているが、
周囲は人工的な雰囲気が多数残存している。 斜面


付近には木造の電柱が立っている。
架線は無いものの、
この道がかつての主要な道だった証明だ。 電柱



電柱から少し登ると大きな平場がある。
この周辺が机上調査で割り出した風洞擬定地だ。
周辺をくまなく探索する。 平場


更に少し登ると大きな人工物が見えた。
これは風洞のようだ。
コケトイ坑に到達だ。 風洞


排気用の扇風機が設置され、
坑内の空気を吸いだして換気する施設である。
細部を見てみよう。 扇風機


風管の手前には扇風機の電動機(モーター)と、
羽が設置されていた土台が残っている。
入気は雄別通洞と堤沢の新斜坑から行われていた。 排気風洞


ファンが回転していたであろうすり鉢状の施設。
排気風洞は堤沢、北進昇、奥雄中部、一斜坑の4か所の記録があるが、
この苔樋だけがどこに接続していたか不明だ。 ファン


すり鉢状の遺構のため、懸垂下降で下る。
内部の確認だ。
戻りはアッセンダーを利用して登攀する。 扇風機


内部はスリットのある扇型の遺構だ。
巨大なシロッコタイプのファンが回っていたのかもしれない。
落ち葉が大量に堆積している。 扇風機


コンクリートは一般に圧縮に強く張力に弱い。
これを補うために鉄筋を入れるのだが、
クラックの量からも構造に関わるこの部分には鉄筋が入っていないようだ。 風管


風管は50m程度続くが8割方は損傷している。
コンクリートには厚い苔が覆い、
古代遺跡のような雰囲気だ。 風管


風管が土手と面した部分からは角度が変わり、
斜坑となって続いている。
内部を確認してみよう。 風洞


内部は約15mで二股に分岐している。
恐らく左坑が風洞で、
右坑はメンテナンス用に人道斜坑だ。 立入


左斜坑は分岐してすぐに激しく埋没しており、
奥には進めない。
水没していた形跡もある。 斜坑


最奥の埋没地点。
内部で土砂が崩れており、
身体も入らない。 埋没


振り返るとメインの右坑と枝分かれした人道がある。
右側に絶えず空気が吸い出される訳なので、
人道側には遮断用の風門(扉)があったようだ。 坑内分岐


人道坑道も分岐から10mで埋没している。
ここも今に崩れるかもしれない。
ここは酸素濃度も問題ない。 人道


ここで簡単な付近の坑道模式図を見ていただこう。
雄別通洞からの坑道は3分岐し東が堤沢に向かう新二坑。
中央が奥雄中部に向かう一卸、西に斜坑で北進昇に向かう。
苔樋は中央の緑丸、オレンジラインが探索ルートだ。
この三坑道のどれかと接続しているはずだがそれが謎だ。 坑道図


予想では苔樋坑は北進昇への斜坑と接続していると推論。
ご覧の廃道を、ここから北進昇までは約1.3q遡る。
尾根沿いのルートに遺構があることを信じて縦走を行う。 ルート


北進昇までは地形図上、破線の道がある。
しかしほぼ廃道で鹿道との混乱もあり、
度々GPSでの確認とピンクテープをマークしての登坂となる。 縦走


足元には炭塊が落ちていて、
それが霜柱で盛り上がっている。
人工物を探しながら歩く。 碍子



この一角は如何にも人工的に、
植林されている。
恐らく炭鉱に関わる施設があったのだろう。 植林


森の奥に不自然な一角がある。
大量に木々が倒れている中、
違和感のある腕金のような部材が見える。 電柱


再び電柱だ。
今度は倒れてはいるものの、碍子も残っている。
ルートが間違いないこと、かつての遺構であることが判る。 電柱


太い切株がある。
かつて人工的に切断された大木に、
新たな小さな松が育ちつつある。 切株


くぼんだ一角に小さな池がある。
地形図に載らないある時期だけ発生する池だ。
しかもこの時期全面凍結している。 池


凍結した湖面にはアイスバブルができている。
底には堆積した落ち葉や木々がはっきり見える。
微妙にすり鉢状になっており、氷の上に載るのは危険だ。 アイスバブル


再び尾根を登るとまたもや電柱がある。
コンクリート製の電柱は大正12年(1923)が最初で当初は四角柱だったという。
木材防腐特別措置法によって木製電柱は保存剤が塗布されている。 電信棒


尾根に沿い540mのピークを超えると、
ようやく以前にも見た北進昇への下りとなる。
残念ながら電柱以外の遺構は発見できない。 ピーク


ようやく 北進昇に到達だ 。
苔樋との間に目立った遺構は無く、
やはりどのように坑道同士が接続していたかは謎のままだ。 北進昇


昭和9年(1934)の鉱床資料には『コケトイ坑』の文字が記載されている。
ところが昭和36年(1961)の資料には記載されていない。
この27年間に起こった変化には到達できなかった。 コケトイ






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